野村克也「メモを取る習慣が弱者を強くする」 長く結果を出し続けるには勘では足りない

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人間とは不思議なもので、1晩経つと前の日にあった細かいことのほとんどは忘れてしまっている。私の場合、1試合マスクを被れば、どんなに少なくても約30回は相手打者と対戦するわけで、その1打席1打席、1球1球を毎日脳に記憶し続けることなど到底不可能である。だから私は、その日あったことはその日のうちに必ずメモするようにしていた。夜中、メモを書き記しているうちにゲーム中の興奮がよみがえって眠れなくなってしまい、気がつけば夜が白々と明けていたなどということもしょっちゅうだった。

毎日毎日、ちょっとずつメモを取っていく。これは実に地道な作業であり、根気を要することだ。でも、こういった小さな積み重ねがあったからこそ、私は後に選手として3017試合に出場することができ(日本プロ野球史上2位)、さらに監督として通算1565勝(同5位)という成績を収めることができた。

メモは学びの宝庫だ

3年目に一軍に定着してからというもの、私はシーズン中はメモを取り続け、就寝前にノートにまとめ、その積み重ねによって正捕手の座を獲得することができた。しばらく経ってから以前書いたメモを読み返してみると、「あ、こんなことがあったのか」とか「この時の自分はこんなことを考えていたのか」などと改めて気づくこと、反省することが出てきたりするから、そういった意味でもメモは「学びの宝庫」であるといえるだろう。

思えば学生時代、授業中に取っていたノートこそ、学びの原点である。私はそれほど優秀な生徒ではなかったので、ノートをこまめに取るようなタイプでは決してなかった。でも、大人になり、プロの世界に入ってから始めた「メモを取る」という作業はさほど苦ではなかったし、メモを取れば取るほどその大切さを思い知った。

メモが学びの宝庫であることは、キリスト教の『新約聖書』や儒家の祖である孔子の残した『論語』といった、先人たちが残してきた偉大な書物を見ても明らかである。『新約聖書』は、イエス・キリストが布教活動の中で発した言葉を弟子たちが一冊の本にまとめたものであるし、『論語』も孔子がその弟子たちと交わした問答が記録されている。『新約聖書』は2000年、『論語』は2500年の歳月を経てもなお、人々の間で読み継がれているのだから、私はその事実を目の前にして、メモの大切さを改めて思い知るとともに、メモが学びとなり、人を育てるのだと確信している。

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