81. 蘭方薬にはアニス、アラビアゴム、カミツレ、キナなどの西洋生薬のほか、塩酸や硝酸銀など化学薬もあった
82. 蘭方医学の登場で、中国医学を基礎にした従来の日本の医学を「漢方」(中国・漢に由来)と呼ぶようになる
83. 日本の漢方医学は、患者を心身両面から総合的に捉えて治療するという〈全人的治療〉の考え方が特長
84. 「漢方薬」はこの漢方医学で使用される薬で、起源は同じだが中国では「中薬」韓国は「韓薬」と区別される
85. 1823年、長崎のオランダ商館医官としてドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが来日する
86. 彼は西洋医学のみならず博物学、動植物、鉱物の知識も豊富で、翌1824年には出島外に鳴滝塾を開設
87. それまでの日本では膏薬外科の域を出なかった西洋医学を、その使用薬物も含めて初めて本格的に紹介
88. 日本各地から集まってきた医師や学者を前に臨床講義を行い、その門人は60人余にも及んだ
89. シーボルトの慣用薬はサフラン、アヘン、ベラドンナ、エーテル、カンフル、ジギタリス、鉄粉、葡萄酒など
90. 当時の西洋医学でよく使用されていた欧米産の洋薬を中心に、丁子や薄荷、ラベンダーなども取り入れた
91. また桂皮や胡椒など東南アジア産の香辛料や漢方で用いる生薬などもあり、彼の使用薬物は多岐にわたった
92. 明治時代に入ると、英米医薬学やドイツ医薬学が日本でも取り上げられるようになり大いに発展していく
93. 1871年には日本初の医薬品(配合製剤)の基準書となる陸軍の『軍医寮局方』が、翌年には海軍版も出版
94. しかしその内容はイギリスおよびオランダの薬局方(医薬品に関する品質規格書)に準じたものだった
日本の医師、薬剤師の教育免許制度が確立
95. 日本では明治以前まで〈医薬兼業〉の形が一般的だったが、1874年明治政府は「医制」を制定する
96. これは〈医師、薬剤師の教育免許制度〉で、薬舗主には仮免許を与え、試験に合格すると免状を交付した
97. 1889年には「薬品営業並薬品取扱規則(薬律)」が成立し、薬舗を「薬局」、薬舗主を「薬剤師」と改称
98. 明治政府は〈医薬分業〉を目指すが、医師の調剤が慣例だった日本では薬局調剤はなかなか進まなかった
99. その後、時代と共に「医師法」「歯科医師法」「薬剤師法」「薬事法(現・薬機法)」などが次々と改正
100. 1974年の診療報酬改定をきっかけに〈医薬分業〉に弾みがつき、現在では医薬分業率は70%近くになった
(文:寺田 薫、モノ・マガジン2019年2月2日特集号より転載)
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