「薬」の奥深さを一体どれだけ知っていますか この蘊蓄100章は思わず人に言いたくなる

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21. 日本語の「くすり」は〈苦去り〉から、漢字の「薬」は〈病を治す草〉という意味から生まれたともいわれる

22. 日本で薬に関する記録が見られるのは5世紀以降からだが、縄文人は植物に精通していたと推測されている

23. 食料として木の実採集をするなかで培われたものだが住居跡からはキハダ(生薬:黄柏)も発見されている

24. 日本最古の歴史書『古事記』には薬にまつわる話も収められているが、そのひとつが『因幡の白兎』だ

25. 皮をむかれて泣いている白兎と出会った大国主神は〈体を真水で洗い、蒲の花粉をまぶせ〉と助言する

26. のちに大国主神自身も大やけどを負ってしまうが、母神は赤貝と蛤の力を借りて彼を救命する

27. 蒲は古くから水辺に多くみられる多年草植物で、その花粉は止血・鎮痛薬として知られている

28. また、赤貝の殻を削った粉と蛤汁の混合薬もやけど薬として使用されていたといわれている

飲み薬として「酒」が用いられていた

29. 日本古来の薬物を「和薬」といい、中国医学が伝わる以前は民間薬としての和薬が中心だったと推測される

日本固有の和薬として使用されているセンブリ(写真:ひろし58/PIXTA)

30. センブリ、ゲンノショウコ、ドクダミなどが日本固有の和薬といわれるが詳細は明らかになっていない

31. また当時の医療で用いられたのは外用薬が主であり、内服薬としては「酒」を用いたに過ぎなかった

32. 病気になったときは薬物に頼るよりも、加持祈祷やまじないを行うことのほうがポピュラーであった

33. 414年、允恭(いんぎょう)天皇は新羅に医師の派遣を乞い、来日した金武が天皇の治療にあたったとされる

34. このとき中国から朝鮮半島を経た中国医学による治療法と薬物が日本にもたらされたといわれている

35. 459年には高麗の医師・徳来が来日し、難波の地に住み着くと代々医業を継承。〈難波の薬師〉の祖とされる

36. 輸入される生薬は「唐物」として珍重されたが、高価な配合薬を利用できるのは一部の支配階級に限られた

37. そこで原料となる生薬を日本国内で生産するためのさまざまな方策が試みられる

38. 593年、聖徳太子は仏教の慈悲の教えに基づき、庶民を救う施薬院、療病院などを併設した四天王寺を建立

39. 〈薬草は民を養う要物なり〉という聖徳太子の勅命によって薬草の栽培・採取・貯蔵が奨励された

40. 600年には遣隋使(のちに遣唐使)の派遣も始まり、大陸の先進文化が次々ともたらされるようになった

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