「薬」の奥深さを一体どれだけ知っていますか この蘊蓄100章は思わず人に言いたくなる

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41. 701年には唐制を参考にした大宝律令が制定され、医療制度の基礎となる「医疾令」も公布された

鑑真和上像(写真:内蔵助/PIXTA)

42. 奈良時代には仏教奨励で薬や医学知識が豊富な僧医も来日。753年に来日した鑑真も医術に明るかった

43. 6度目の挑戦で辛くも来日した鑑真はすでに失明していたものの、あらゆる薬を嗅覚で鑑別できたという

44. 彼の施術によって光明皇太后の病気は治癒し、東大寺正倉院には当時の薬の一部が現在も収蔵されている

45. 奈良・平安時代には植物に加え、鉱物や動物由来の生薬も比較的多く用いられていた

46. その例としてジャコウ、熊胆(ゆうたん)、鹿茸(ろくじゅう)、牛黄、海狗腎(かいくじん)などが挙げられる

47. これらは中国産のみならず、遠く海外から中国経由で輸入されたものもあったと推測されている

48. 平安中期に醍醐天皇の命で編纂された『延喜式』は当時の国内の薬事情を知る貴重な資料のひとつである

49. その巻37典薬寮の項では畿内山城国など全国57諸国から朝廷に進貢された170余種の生薬名と数量を記載

50. さらに宮中で用いられる丸剤や軟膏剤といった配合製剤なども明らかにされている

51. 『延喜式』にある生薬には現代の国産常用生薬と通じるものも多く、薬草探索はすでに相当進んでいた

52. 984年には平安時代の医家・丹波康頼が医薬処方剤や治療法を論じた『医心方』30巻を編纂している

53. 中国・隋や唐の数多の医書を引用して制作されたもので、現存する日本最古の医書として知られている

54. 庶民にとってはまだ神頼みが一般的だったが、中国医学の波に乗りきれず弱体化していく官医たちもいた

55. 鎌倉~安土桃山時代の約400年間は各地で戦乱が起こり国内は停滞するが、仏教は益々盛んになっていく

仏教の普及とともに広がった医療技術や薬物書

56. 仏教に対する幕府の保護政策もあり、日本と中国を往来する僧侶も多く、医療技術や薬物書も輸入された

57. 1107年にもたらされた『太平恵民和剤局方』は中国・宋の皇帝が諸国の秘薬の処方を撰述したもの

58. 30年の歳月をかけ庶民救済のためにまとめたもので、のちの日本における「売薬」の参考書ともいわれる

59. この時代も医術は僧侶が中心だったが、寺院には療病院や施薬院が設けられ徐々に薬が庶民に普及していく

60. 鎌倉時代には東大寺の「奇応丸」や西大寺の「豊心丹」などの薬が創製され、室町に入ると認知が広がった

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