岩政大樹の死闘の記憶、2011年アジアカップ 日本代表を変えたのは「本田世代」だった

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続く準決勝・韓国戦は吉田の出場停止によってスタメン出場。足が万全でない中、120分間+PK戦の死闘を乗り越え、ファイナルにコマを進めた。

そして迎えた決勝・オーストラリア戦。指揮官は吉田のスタメン復帰を決断し、岩政はベンチスタートに戻った。

しかし、相手がフィジカルを前面に押し出し、蹴り込み作戦に出てきた後半11分に呼ばれ、凄まじい緊張感の漂うピッチに送り出された。そこで岩政は屈強な男たちと勇敢に競り合い、堅守を演出する。最終的に李忠成(J1・浦和レッズ)の決勝弾で勝てたのも、彼ら守備陣の奮闘があってこそだった。

2011年当時のアジアカップを回想する岩政大樹(撮影:今 祥雄)

「もしも自分が万全の状態でアジアカップに挑めていたら、僕の代表キャリアはどうだっただろうか……という思うことはあります。あの頃はまだ麻也も不安定でしたし、空中戦でもはじき返す強さがそれほどなかったから。ザックさんも決勝でどちらを使うか悩んでいる状況でした。代表でそのくらいの立ち位置に初めてなった大会だったので、優勝したことも含めて思い出深いですね。

ただ、自分のパフォーマンスはオーストラリア戦以外、決してよかったとは思っていません。麻也がいない時に出た韓国戦の120分間にもう少しいい仕事ができていれば、代表でのイメージも変わったのかなと感じます。

もちろん足はまだ激痛で、試合開始10分くらいでやっとアドレナリンが出てきて忘れるような状況ではあった。言い訳にはなっちゃうけれど、練習が足りなかった」と岩政は悔やむ。

最大の武器を発揮できず不安を抱えていた岩政

満足のいくトレーニングができない影響が如実に出るのがヘディングだったという。岩政大樹というDFにとって最大の武器を存分に発揮できないとなれば、どうしても不安を抱えた状態になってしまう。

「ヘディング時の空間認知というか、ボールが飛んできた時どこに落下地点が来るかを読む部分が僕の生命線。でも練習が足りていないと足の踏ん張りが少し弱かったり、はじき返すところもリズムに乗れなかったりする。韓国戦でもう少しやれていればよかったんですけどね」と自身の代表キャリアを左右したかもしれない一戦を岩政は冷静に分析する。

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