サッカー日本代表、森保監督に問われる手腕

五輪とA代表は基本的にリンクさせる方針

2018年9月からサッカー日本代表の監督に就任した森保一氏(撮影:田所千代美)
ヴァイッド・ハリルホジッチ、西野朗(にしの あきら)、森保一(もりやす はじめ)という3人の指揮官がチームを率いることになったサッカー日本代表。激動の2018年が幕を閉じようとしている。
ロシアワールドカップを経て、新時代に突入した新生日本代表が2019年最初に挑むのは、1月のアジアカップ(UAE)だ。1992年日本(開催:広島)、2000年レバノン、2004年中国、2011年カタールと過去4度頂点に立っている日本だが、今回は出場国が16から24に増え、大会期間も長くなるなどアジア制覇への難易度も上がっている。
そんな中、森保一監督はいかにしてチームを成長させ、結果を残そうとしているのか? 2020年東京五輪、2022年カタールワールドカップへの青写真をどのように描いているのか?
週刊東洋経済は2018年12月22日発売の最新号「2019大予測」で森保監督へのインタビューを敢行。かつて日本代表として1993年10月28日の「ドーハの悲劇」を経験した時代にもさかのぼりつつ、指揮官の人間像や指導者像に迫った。

――2019年4月で平成も終わりますが、日本代表入りとJリーグ開幕、サンフレッチェ広島での優勝、指導者としての成長、代表監督就任と森保さんは「平成を駆け抜けた人物」だと思います。そこでドーハの悲劇のことから伺います。1994年アメリカワールドカップを逃した瞬間のことを覚えていますか?

「あまり記憶がないですね。試合が終わって何をやっていたのか、どうホテルに帰ってきたのか……。もう時間が経っているので、その記憶自体も薄れてますけど、『頭が真っ白になる』という状態。僕らはアメリカワールドカップの予選には夢を懸けて戦ってましたし、夢がつかみ取れるところまで来てて、つかみ取れなかった。やはりショックだったと思います」

代表は自分にとって特別な舞台だった

――森保さんにとっての日本代表はそれほど重みのある場所だったんですね。

「そうですね。特別な舞台でした。もちろんクラブでの活動も特別で充実したものでしたけど、1人ひとりが向上心の塊の中で切磋琢磨し、お互いを支え合い、結び付き合うということをやれる場所でした。

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当時は合宿の期間も長かったので、サッカーだけじゃなくて、同じ屋根の下で同じ釜の飯を食うことが多かった。そういう時間の中ですごくいい関係を築くことができたと思っています。

今は指導者として代表という特別な舞台で仕事をさせていただいてますけど、『どんな役割でもいいから代表チームにいたい』という思いは当時からありました。日本を代表し、日本人の誇りを持って戦うことはすばらしいことだと感じていたので、つねに携わっていたいと思っていました」

――ハンス・オフト監督が率いた日本代表はラモス瑠偉(現・ビーチサッカー日本代表監督)さんやカズ(三浦知良=J2・横浜FC)さんなど非常に個性的な選手が多かったですよね。森保さんはあの環境でバランス感覚を養ったんですか?

「強烈な個性を持つ方は多かったですね。私はラモスさんやカズさんとは特長が違いますし、人それぞれの個性や特長があっていい。自然体でいいと思っていました。周りもそんな自分を受け入れてくれていました」

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