岩政大樹の死闘の記憶、2011年アジアカップ 日本代表を変えたのは「本田世代」だった

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結局、彼は2012年9月のワールドカップブラジル大会のアジア最終予選途中に代表から離れる形となった。鹿島アントラーズ時代は2007~2009年のJ1・3連覇など輝かしい実績を残したにもかかわらず、日本代表では国際Aマッチ8試合という数字はやはり寂しいが、日本サッカー界が目指すべき基準が一気に高まっていく時代を体感できたのは大きな財産だと言えるだろう。

「2011年のアジアカップでは、本田(圭佑=オーストラリア・メルボルン・ビクトリー)や長友(佑都=トルコ・ガラタサライ)、長谷部(誠=ドイツ・フランクフルト)たちが見ていてグッと頼もしくなった。

2018年ロシアワールドカップまでの1つの時代があそこからスタートしたし、日本サッカーのスタンダードが変わっていくような印象を受けました。彼らは『世界トップに挑んでいくのは当たり前だ』という感覚でやっていた。そこは僕らが生きてきた感覚とは全然違った。代表に招集されるたびにそれを感じて、大きな刺激を受けたのは確かです」

2008年に日本代表入りした岩政は、2010年南アフリカワールドカップまでの間に中村俊輔(J1・ジュビロ磐田)や稲本潤一(J1・コンサドーレ札幌)ら世界を知る上の世代ともプレーしているが、本田や長友らの感覚は彼らとも異なっていたようだ。

本田圭佑ら自分よりも下の世代の躍進について語る岩政(撮影:今 祥雄)

本気で思えるやつはどんどん駆け上がっていく

「本田たちは『あそこに行きたい』じゃなくて『もう行けるもんだ』という感覚でいた。僕ら世代から見たら『勘違い』なんですけど(笑)、それを普通にやれると思ってる。勘違いできる能力がすごいと感じましたね。

本田なんか『ワールドカップで優勝を目指す』と公言してたけど、あれは間違いなく本気なんですよ。本気でそう思えるやつは、ああやってどんどん駆け上がっていくんだなと。

僕なんかは『(リオネル・)メッシ(スペイン・バルセロナ)に対応できるようにしたい』とか『世界的な長身FWにヘディングで勝てるようにしたい』と思うけど、どこかで『とはいえムリだろう』と考える部分が奥底にある。それは小さい頃から根付いたもの。だから本田たちの言う『ワールドカップ優勝』は信じられないけど、彼らはハードルを突き破れるようなメンタリティを持っている。

鹿島の後輩の篤人(内田)も自分の限界を決めずに先に進んでいきましたね。同い年の遼一(前田=J1・FC東京)とも『俺らの世代にはああいう感覚はなかったな』とよく喋りましたけど、アジアカップ優勝からの駆け上がり方はすごかったですね」と岩政はしみじみと語る。

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