「待機児童」が地方より東京に集まる根本原因 データで読み解く「女性の社会進出」の歴史

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まずは、最新の調査結果である2015年の都道府県別共働き率を確認します。

[図表1]共働き率(出典:2015年 国勢調査)

これを見ると、共働き率は三大都市圏で低く、日本海側を筆頭に地方で高いことがわかります。他の統計データとの相関を見ても、人口集中度との負の相関が-0.83と高く、人口が集中するにしたがって共働き率が低下していることになります。

そこで、共働き率首位の山形県と最下位の東京都、そして20位で「日本の平均値」とも呼ばれる静岡県の3都県の変化を、1920(大正9)年の第1回国勢調査から眺めてみます。

1920年からたどるときに難しいのは、1920年から2015年までの間、連続する統計項目が少ないこと。「共働き」という概念が普及した近年では、共働き世帯数が調査されていますが、そういう概念が一般的でない1920年は、共働き世帯数という項目がありません。

女性の就業率の経年変化

そこで、今回は25歳から49歳までの女性の就業率の変化をたどることにしました。就業率とは、女性人口に占める就業者・有業者の割合です(※)。

※1925年以降は、女性人口に占める就業者、もしくは有業者の割合を比較。1920年は女性人口に占める本業者の割合を比較した。本業者は、就業者・有業者と違って「本業にしている者」という意味で、別に副業者という項目もあるが、副業者は都道府県別年齢階層別のデータがないため除外した。

ここで下限を25歳にしたのは、大学進学率の変化による就業率への影響を抑えるためです。また上限を49歳にしたのは、1920年ごろは「定年」という概念が生まれた時期で、50歳で定年となる職場もあったため、その影響を排除するためです。ちなみに当時は職を転々とするのが普通で、企業は従業員を引き留めるために定年制を導入し、年をとるまで働けることをアピールしたのです。

さて、25〜49歳女性の就業率の変化は、以下のようになっていました。

[図表2]女性の就業率の経年変化(出典:1920~2015年の国勢調査をもとに筆者作成)

戦前の25〜49歳女性就業率の全国平均は50%で、1970年代までほぼ横ばい。その後、ゆるやかに上昇し、近年では65%程度になっています。

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