「待機児童」が地方より東京に集まる根本原因 データで読み解く「女性の社会進出」の歴史
いっぽう、先ほどの3都県の同じデータを見ると、大きく違っていることがわかります。なによりも目立つのが、東京都(1943年までは東京府)の就業率の低さ。大正時代は20%を切っており、戦前最後のデータとなる1940年でも23.49%です。それが、戦後の高度経済成長とともに女性の就業率はグングン上がり、80年代には50%を突破。バブル期に60%に達した後は頭打ちとなり、最近は57%前後に落ち着いています。これこそまさに「専業主婦型社会から共働き型社会に移り変わっている」といえそうです。
約100年前から共働き率が高い山形県
では、2015年の共働き率首位である山形県はどうでしょう。こちらは1920年の25〜49歳女性就業率が73.19%と、東京都(東京府)の3倍以上となっています。その後、1930年代に最低値となる62.52%になったあとはゆるやかに上昇し、現代では80%を超える高率となっています。
さらに静岡県ですが、こちらは東京都と山形県のちょうど中間で、全国平均と同じような変化となっていました。さすがは「日本の平均値」です。
さて、これらのデータからわかることは、どういったことでしょうか? 「東京の女性は仕事ぎらいで、山形の女性は仕事好き」? いえ、前回の記事(「地方女子は進学しなくていい」風潮は本当か」)でも示したように、都会のありよう・地方のありようは、それぞれ異なる条件における合理的な判断の結果なのです。
それを立証するために、1920年の女性の分野別就業率を見てみましょう。以下は、25〜49歳女性就業者に占める各業種の割合を円グラフで表したものです(分野は当時の分類による)。
働く女性の66.25%が農林水産業に従事しており、第一次産業が女性の就業先の大きな受け皿となっていることがわかります。なにも難しい話ではありません。当時は自分の田畑で働く女性が多かったことを示しているのです。この時代は日本が農業国から工業国へと転換する時期にあたり、男性の分野別就業率では、第一次産業が50%を下回っています。
つまり、男性が工場や会社で働き、女性や高齢者が残った田畑を守る「3ちゃん農業」の先がけとなる時代です。実際、茨城県、千葉県、福井県、滋賀県では農業に従事する女性が農業に従事する男性よりも多くなり、文字どおり女性が農業を守っていました。
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