「待機児童」が地方より東京に集まる根本原因 データで読み解く「女性の社会進出」の歴史
客観的な統計データをもとに都道府県を比較分析する「データで読み解く」シリーズ、第3回は「共働き率」がテーマです。
「共働き」の対概念は、「夫が働き、妻が専業主婦として家庭を守り、家事に従事する」ということになります。一般的には、いずれにせよ夫は働いていることが前提なので、ここで着目すべきは女性が家事労働以外で働くこと、すなわち「女性の社会進出」となります。
「女性の社会進出」は、もう完全に知れ渡った言葉といってよいでしょう。最近も安倍首相の唱える「一億総活躍社会」の一環として、ニュースなどで目にする機会が増えています。1985年に制定され(施行はその翌年)、その後も数度の大幅改正を経た男女雇用機会均等法により、女性の就業環境は大きく向上しましたが、それに伴い、待機児童問題など新たな問題も出てくるようになりました。
……と、ここまでの流れは、日本社会が「高度経済成長期の専業主婦型社会から、共働き型社会に移り変わっている」ということを前提にしています。多くの人が、この前提を受け入れていることでしょう。しかし、はたしてこの前提は本当にそのとおりなのでしょうか? 筆者はそこに疑問をもっています。
日本に「専業主婦型社会」は本当にあったのか?
データを分析する前に、例によって我が身をふりかえってみます。そこに疑問のありかがあるからです。余談ですが、データ分析の際には、このような「肌感覚」がとくに重要だと考えます。そうしないとデータの背後にあるリアルを忘れ、データに淫する結果を生むからです。
佐賀県のいなかで過ごした40年前、我が家を含めて働いている母親のほうが多かった記憶があります。友だちの家に遊びに行ってもたいてい親の姿はなく、子どもたちだけで楽しく遊んだものです(ちなみに、現代を生きる我が子の小学校では、親が不在の家に遊びに行くのは禁止です)。たまに母親が在宅している家庭もありましたが、見るからに豪邸で、子ども心に「お母さんがいる家はお金持ちだなぁ」と思ったものです。
はたして専業主婦型社会は、本当にあったのでしょうか? あったとして、日本のどこにあったのでしょう? 5年に1度行われる、国勢調査のデータから探ってみましょう。
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