「世界の奇跡」日本の天皇が滅びなかったワケ

皇室を葬った中国と、守った日本の大きな差

以後、中国では共産党勢力が急速に拡大し、猛威を振るうようになります。1925年、孫文は「革命いまだ成らず」という有名な言葉を残して、病死します。後継者の蒋介石は孫文と異なり、共産党を危険視し、弾圧します。蒋介石は毛沢東と激しく対立しますが、もはや、共産党の拡大は誰にも止められない状態でした。共産主義者が唱える平等社会が平民たちに広く受け入れられていきます。

中国では、ヨーロッパと異なりブルジョワ市民階級が未成熟でした。皇帝制を打倒した後に、その受け皿となるべき民族資本家たちが国家を強力に牽引していく存在にはなれませんでした。

1912年、辛亥革命で清が倒れたとき、牽引者不在のなかで中国は方向性を失います。秩序がもろくも崩壊し、共産主義が圧倒的多数の貧民の支持を得て勢力を拡大します。つまり、皇帝制崩壊により、中国では共産主義国家の誕生が避けられない事態となっていたのです。

天皇の存在が日本の近代化成功のカギだった

日本も中国と同様に、ヨーロッパのようなブルジョワ階級は未成熟でした。代わりに、従来の特権階級であった藩主や武士が近代革命を担いました。

17世紀のイギリス市民革命でも、18世紀のフランス革命でも、国王をはじめ多くの特権階級が処刑されています。フランス革命では、日々の大量処刑を迅速に執行するために、ギロチンが考案されました。ヨーロッパの近代革命は血生臭い暴力が付いて回り、それは中国の易姓革命と同質のものでした。

日本の近代化である明治維新では、そのような血生臭い暴力は最小限に抑えられました。革命への穏健な姿勢が終始貫かれ、日本独自の絶妙なバランス感覚で体制の旧弊を漸次改変しながら、近代化が進められていきました。日本の近代革命は「アンシャン・レジーム(旧体制)」を急進的に打破していく、ヨーロッパ型の近代革命とは根本的に異なっています。

日本の近代化が穏健に進められた背景として、天皇の存在が大きかったと思われます。最後の将軍徳川慶喜は自らの体面を失うことなく、政権から退きました。それは、将軍よりも格上の天皇に、それまで預かっていた政権を返上するという大政奉還の建て前を通すことができたからです。

約270年間続いた江戸の将軍が、薩摩・長州という辺境の家臣に屈服したという恥辱にまみれるならば、幕府勢力は死力を尽くして、革命軍と戦い、血で血を洗う陰惨な内戦に発展した可能性があります。幕府はあくまで大政奉還により、天皇に恭順したのです。超越的な天皇の存在が日本の危機を救いました。

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