41. 具注暦には年中行事や毎日の吉凶などを示す「暦注」も記され、平安時代に流行した
42. 藤原道長は具注暦に直接日記を書いた。その『御堂関白日記』の一部は陽明文庫に現存、国宝に指定されている
43. やがてかな文字が普及すると「具注暦」を簡略化し、かな文字で書いた「仮名暦(かなごよみ)」が登場。鎌倉時代末期には印刷された暦も現れ、広く普及していく
44. 暦の日柄を表す「暦注」といえば「六曜」。その起源は中国で「六壬時課」と呼ばれていた時刻占いの一種
45. 六壬時課は室町時代の日本に伝来、江戸時代後半には日の占いに変化。名称や順序も日本独自の「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」となった
46. 日本で発見されている最も古い暦として奈良の正倉院に伝えられた「天平十八年具注暦」(746年)が知られる
47. 2003年には飛鳥村の石神遺跡から持統天皇3年(689年)の具注暦を書き写した木簡が出土
48. 飛鳥時代の暦伝来以降江戸時代までいくつかの中国暦が採用され、「宣明暦」は862年から823年間も使用された
49. 宣明暦は太陰太陽暦に基づいた暦で、新月は「朔」、満月は「望」と呼ばれ、新月の朔日が月の初めの日とされた
50. 江戸初期には日本独自の暦法「貞享暦」が天文暦学者渋川春海によって完成。1685年から1755年の70年間使用された
明治初期までは日本独自の暦が使用されていた
51. その後は「宝暦暦」「寛政暦」「天保暦」と、日本独自の暦が明治初期まで使用され続けた
52. 明治6年(1872年頃)、明治政府の布告により新たにグレゴリオ暦が導入された
53. 天保暦は明治5年12月2日まで。明治5年12月3日は強制的に明治6年(1873年)1月1日と置き換えられた
54. 当時、出版された太陽暦の啓蒙書のなかでも福沢諭吉が改暦の効用を説いた『改暦弁』はベストセラーになった
55. グレゴリオ暦は旧暦(天保暦)とは季節がずれているため現代日本におけるお盆の時期や七夕の時期のズレとして影響を残している
56. 旧暦「天保暦」は2033年に破綻してしまう運命にある
57. 月の最初の日は「一日」「朔日」と書いていずれも「ついたち」と読むのは新月=月が立つ=月立ちが語源
58. 月の最後の日を「晦(つごもり)」という。これは陰暦で月が隠れる月末を「つきごもり」と呼んだ名残
59. 週や曜日の概念は古代バビロニアで生まれたとされる
60. 曜日に太陽と月、5つの惑星の名をあてるようになったのは紀元前1世紀前後のギリシャ・エジプト
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