構図が酷似!明治14年の「森友事件」の末路 事件に便乗して権力を手にした人物は?
1400万円の官有物、払い下げ額はたった30万円?
明治14(1881)年7月26日、「東京横浜毎日新聞」のスクープ記事が、日本中を大きく騒がせました。
その内容とは、「近日中に北海道開拓使物産取扱所の広壮な家屋が、わずか2万円で関西貿易商会に払い下げられる」というものでした。
開拓使長官・黒田清隆(1840~1900)と、関西貿易商会を率いる政商・五代友厚(ともあつ・1836~1885)の、開拓使官有物の払い下げをめぐる「官民癒着」がすっぱ抜かれたのです。
当時、政府は国家予算のおよそ4分の1にあたる1400万円を、北海道開拓の10年計画に投じていました。その完了に伴い、官舎や倉庫、土地、工場などの官有物の払い下げを計画し、正式な裁可を目前に控えての「青天の霹靂(へきれき)」でした。
さらに翌日の郵便報知新聞が、「物件の売値はわずか30万円で、その支払いも一括ではなく30年の無利息年賦」と続報を行うと、事態はいっきに拡大。以後、明治日報、東京日日新聞など、多くの新聞での「糾弾キャンペーン」につながりました。
今回は、「140年前の森友事件」ともいえる「北海道開拓使官有物払下げ事件」について解説します。
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