23歳の「野球エリート」が大学卒業後に描く夢

日本一になった山根佑太がバットを置いた訳

2013年春のセンバツ甲子園決勝で打席に立つ浦和学院時代の山根佑太(写真:岡沢克郎/アフロ)
山根佑太という名前を聞いたことがある人はどれくらいいるだろうか? 2013年春のセンバツ甲子園で優勝した浦和学院のキャプテン、立教大学入学後は4年春に全日本大学野球選手権で日本一になった男だ。だが、2018年春の大学卒業と同時にバットを置いた。エリート野球道を歩み続けた男はなぜ野球をやめたのか? 『プロ野球を選ばなかった怪物たち』では山根の今に迫った。

 

野球部のある高校は全国に3700校以上もある。2018年夏、甲子園に足を踏み入れられたのは56校だけだ(記念大会以外は49校)。確率にすればわずか1.5パーセント。どれだけ実力のあるメンバーがそろっても、百戦錬磨の監督が采配を振っても、途方もない数字であることに違いはない。

だから、プロ野球で活躍するスーパースターのなかには、高校時代に甲子園に出ることができなかった選手がたくさんいる。甲子園出場が夢で終わった球児の多くは、山根佑太の実績を見てジェラシーを覚えるはずだ。

2012年、二年生の春に、浦和学院(埼玉)の外野手として初めて甲子園に立ち、三年夏まで4回連続で出場している。出場できる可能性のある5回のうち4度、憧れの舞台でプレイした。二年春は3回戦で大阪桐蔭(大阪)に敗れたもののベスト8に進出、夏も3回戦まで進んだ。

三年春のセンバツはキャプテンとして全国制覇に貢献。決勝で済美(愛媛)の安樂智大(現東北楽天ゴールデンイーグルス)を打ち崩した。最後の夏は1回戦で仙台育英(宮城)に敗れたものの、10対11の激闘を展開している。

甲子園の通算成績は49打数20安打(打率4割0分8厘)、16打点。甲子園で持ち前の打棒を十二分に発揮し、9個の勝利を積み重ねていった。

立教大学入学後、四年の春にはクリーンナップに座り、18年ぶりの東京六大学リーグ優勝を手繰り寄せ、続く全日本大学野球選手権では59年ぶりの日本一にものぼりつめた。その春の活躍は目覚ましく、打率2割7分7厘、4本塁打、7打点を記録し、ベストナインに輝いた。秋のリーグ戦でも2本塁打を放っている。

大学卒業後にプロに行ける可能性もあった

身長180センチ、体重77キロの恵まれた体格、一発長打を秘めた豪快な打棒、読みの鋭さは、さらなる「伸びしろ」を感じさせた。日本のプロ野球で右打ちの大砲が不足していることを考えると、プロ志望届を提出すればドラフト会議で指名される可能性もあっただろう。勝負強さとスケールの大きさは、ほかの選手にはないものだった。

しかし、山根は大学卒業と同時にバットを置いた。社会人野球でもプレイしていない。

数々の栄光に包まれた野球人生は静かに幕を閉じたのだ。

東京六大学を代表するスラッガーは、なぜ野球の世界に別れを告げたのか?

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