23歳の「野球エリート」が大学卒業後に描く夢 日本一になった山根佑太がバットを置いた訳

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「もともとスーツに興味があったというのが一番です。この仕事であれば、業種を問わず、さまざまな人と知り合うことができる。年齢も職業も立場も違う、いろいろな世界の人の話が聞ける。社長さんもいれば、新入社員もいますから。

僕は、同じ場所で同じことをするのが、あんまり好きじゃないんですよね。それまでずっといた野球の世界を出たいという思いが強かった。大学に入ったときには海外留学もしてみたいと思っていました」

野球で名を残したことで、できないことがたくさんあった。そこから離れたことによって、別の何かが見えてくるかもしれない。

「これまでやりたいことがあっても、野球があってできなかった。野球を存分にやれたことは幸せでしたが、制限された部分があったのも事実。だからこそ、野球の世界から出たかった。

プロ野球を目指さないのなら、野球は終わり。野球とは別の世界でやりたいことがたくさんあります。大学まで野球を続けて、『やり切った』という思いが強いですね」

山根の野球の実力や実績を知る者は、みな口をそろえて「もったいない」と言う。しかし、山根は過去を振り返るつもりはない。

野球人生に一区切りつけた山根の目標

「まだ新しい世界で実績を残していないので、『もったいない』とか『野球を続ければよかったのに』と言われますが、10年後に成果を出していれば、そうは言われないはずです。何年後かに『野球を続ければよかったな』とは思わない自信が自分にはあります。まずはオーダースーツの仕事をものにして、独立したいと思っています」

『プロ野球を選ばなかった怪物たち』(イースト・プレス)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

野球人生にはひと区切りをつけた。これからは野球とどう付き合っていくのだろうか。

「基本的に草野球はやらないと決めています。よっぽどのことがない限り、いったんは野球と距離を置きます。でも、野球をやってきたことが僕の武器であることは間違いありません。野球を捨てたわけではありませんから」

高校、大学と濃い野球人生を送ってきた山根の前に、どんな困難が待っているかはわからない。

これまでの経験値ではうまく対処できないこともあるかもしれない。しかし、山根はそれを楽しむつもりでいる。

(文中敬称略)

元永 知宏 スポーツライター

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もとなが ともひろ / Tomohiro Motonaga

1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。直近の著書は『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、同8月に『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)。19年11月に『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長。

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