差別特集の失態だけで語れない新潮社の本質 「新潮45」問題で霞んでしまった良書の存在
その後、海外文芸の翻訳書、新潮文庫、昭和名作選集の刊行と続き、戦後には中間小説誌『小説新潮』が大当たり。このあたりはいかにも文芸専門の会社らしいチャレンジと発展ぶりだが、1956年、ライバルの出版社がどこもやっていない週刊誌の分野に手を伸ばす。『週刊新潮』の創刊だ。すると、どうせすぐにつぶれると思われていた世評を覆し、新聞メディアとは異なるジャーナリズムの方向性を確立することに成功する。これが大きな転機だった。
同誌の柱は「金と女と権力」、これら3つに対する人間の欲望を取り上げることにあった。その方針をつくったのは、“新潮社の天皇”、あるいは“怪物”とまで呼ばれた編集者、齋藤十一(さいとう・じゅういち)だったと言われている。
従来の「文芸」とはまったく違うものをつくったようにも見える。しかし、扱い方が違うだけで『週刊新潮』もまた文芸出版の1つの形だった、と考えて間違いはない。没後、妻の美和が齋藤の心情をこう語っている。
同時に齋藤は「下品であってはいけない」と考えていたともいう。かなりの難題ではある。難題を抱えながら時はうつろい、その骨格を多分に受け継いでつくられた雑誌が、後年の『FOCUS』であり『新潮45』ということになる。いずれも根底には文芸への志向があった。
ヘイト問題と向き合った作品もある
確かに文芸を表現できるのは文学書だけ、と決めつける必要など、どこにもない。あとは、それをどのように具体化して商業ベースに乗せていくかだ。新潮社はその課題に立ち向かい、いくつもの成功と、いくつもの失敗を繰り返しながら、今まで存続してきた。
最近の例を挙げてみる。2016~2017年に『小説新潮』に連載されたカラテカ・矢部太郎のコミックエッセイ『大家さんと僕』は公称70万部を超え、いまもベストセラー調査にランクインしている。2018年4月には「第22回手塚治虫文化賞」短編賞を受賞して話題にはずみがついた。
『小説新潮』は純文芸誌ではないが、まさに文芸の概念を拡張するためにあるような、「小説誌」と呼ばれるジャンルの雑誌だ。ライバルの『オール讀物』や『小説現代』(現在休刊中・2020年3月号でリニューアル創刊)などと同様に、小説以外のコラム、グラビア、マンガなどにもページを割いてきた長い歴史がある。売れるコミック作品をそこから生み出した、というところに「文芸」出版社としての面目躍如たる感があるだろう。
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