ワインが登場することわざには、こんなものもあります。どんな意味かわかりますか。
これはイギリスのことわざです。昔、ワインを作っていた居酒屋や旅館などは「酒が飲めます」という看板代わりに、ツタの枝を外に下げて旅行者に知らせていたのだとか。つまり、「うまい酒には看板は必要ない」という意味なのです。
「桃李もの言わざれど下自ら蹊を成す(とうりものいわざれどしたおのずからみちをなす)」に近いかもしれませんね。つまり「モモやスモモは何も言わないけれど、おいしい実には人が集まるため、その下には自然に道ができる」ということ。
司馬遷の『史記』にあるこの言葉は、「徳のある人のもとには、自然と人が集まる」ということを例えて言っていました。こちらの英語のことわざは、例えではなくそのまま酒の話なのですけれどね(笑)。
キリスト教の聖書のマタイ伝9章には、こんな教訓もあります。
これは現代風に教訓として言い換えたものですが、聖書の原文はもっと長く、このような文脈で使われています。
(また、新しいワインを古い革袋に入れる者はいない。そんなことをしたら、革袋は破れ、ワインは流れ出て、革袋もだめになる。新しいワインは、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、どちらも長持ちする)
現在ではbottle(瓶)と置き換えますが、昔はワインを革の袋に入れていたので、wineskin(ワイン用革袋)と書かれていますね。
ここでの教訓は「新しい思想には新しい形式がふさわしい」ということで、「古い悪習は断ち切るべきである」という文脈で使用されます。お酒の話なのに、なんだか一気に高尚な感じがしますね。
親友と交わす酒ならこんなことわざも覚えておいてはどうでしょう。
酒の席というのは楽しいときの例えで、涙はつらいときの例え。「物事がうまくいっているときには新しい友人ができるが、本当の友人はつらいときにこそ判明する」という教え。いやあ、筆者はつらいときも酒の席なのですけれどねぇ……。でも、友情を語るにはすばらしいことわざです。
偉人たちが残した酒に関する言葉
きれいにまとまったところで終わりにしたいところですが、最後に偉人たちが残した酒に関する言葉を紹介します。
(酒を飲めば、つまらないヤツでも面白く思える ― アーネスト・ヘミングウェイ)
(酒と女と歌を愛さぬ者は愚かな生涯を送る ― マルティン・ルター)
なんだか酒飲みとしてはウキウキするようなフレーズばかり。でも、こんなスペインのことわざも肝に銘じておきましょう。
ボージョレ・ヌーボーの解禁日が待ち遠しいですね。
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