なぜ”戦う哲学者”は子どもを持ったのか 軽蔑の裏返しで抱いた「通常人」へのあこがれ

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だが、人生とは不思議なもので、その後、親の重圧から離れ、ひとりでウィーンに行ってみて、思いがけず、「結婚しよう」という気になった。こんな自分でも「結婚できる」かもしれないと思った。そして、結婚し、さらに「子どもさえ持てる」とわくわくした。37歳で一般人より15年も遅れて初めて定職に就き、自分は結婚、子ども、定職という3点セットを手に入れたと思い、鼻高々だったのです。

それまでの「何をしてもむなしい」という思いはそのままでしたが、だからこそ自分のうちに潜む「普通」を探り当てたうれしさ、「普通のむなしさ」を手にした喜びを多くの読者は理解してくれない。そして、「ニヒリストぶって、うそじゃないか、ペテン師だ、詐欺師だ」と裁くのですね。今まで、「哲学者が結婚しているのは滑稽だから離婚しなさい」とか、「先生は子どもをつくったことがどうしても許せない」と、詰め寄ってくる人が少なからずいました。こういう人は、どうして哲学者というならず者に「論理的に矛盾のない人生」を送ることを求めるのでしょうか? 

「死にたい」人が天災を恐れるのは「自然」なこと

私はこれまで他人をずいぶん攻撃し非難してきましたが、思い出すかぎり、その人の人生が論理的に矛盾だから、整合的でないから、という批判は一度もしたことがない。毎日、「死にたい、死にたい」とわめいている人が、地震が起こるや否や慌てふためいて逃げるのも「自然」ですし、裁判官や神父が万引きするのも、痴漢行為をするのも「自然」ですし、消防士が放火するのも、警察官が引き逃げするのもごく「自然」だと思っています。

「論理的に矛盾のない人生」とは、実にチャチな社会的ゲームであって、大の大人がそれを武器にして他人を責めたり、自分を反省するのは、恐るべき未成熟であって、「大人は汚くて許せない!」と叫んでいる「中2病」段階にとどまっている証拠ですね。

というわけで、ご相談に戻ると、結婚などしなくていいし、でもあえて不幸になりたいのならしてもいいし、子どももつくらなくていいし、自虐的人生を歩みたければ、つくってもいい。基本的に、何をしてもいいのです。

最後に、ちょっときれいごとに響くことを自覚しながら言いますと、子どもを持って最もいいと思ったことは、私のような「中2病」以下の者は、子どもを持つことによって、責任を負わざるをえないこと。親は勝手に子どもをつくったのですから、子どものなすことに対して、どこまでも責任を持たなければならない。どんなに自分ひとりが注意していても、子どもが犯罪事件を起こすかもしれないし、育て方が悪いと言ってやがて子どもに殺されるかしれない。それって、私のようなダメ人間をとても鍛えてくれ、無限に生きにくくしてくれるのですね。だから、とても貴重なのです。

参考文献としては、あまり読まれていないようですが、『孤独な少年の部屋』(角川書店)だけを挙げておきます。 

中島 義道 哲学者

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なかじま よしみち / Yoshimichi Nakajima

電気通信大学元教授・哲学塾カント主宰
1946年福岡県生まれ。77年東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。83年ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了、哲学博士。専門は時間論、自我論。2009年電気通信大学電気通信学部人間コミュニケーション学科教授を退官。現在は「哲学塾 カント」を主宰し、延べ650人が参加した。著書は『働くことがイヤな人のための本』『私の嫌いな10の人びと』『人生に生きる価値はない』(以上、新潮文庫)など約60冊を数える。

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