昨年ある雑誌でソフトバンクの孫正義君と対談した際、彼が30年も昔の僕との会話を克明に覚えていたことに驚いた。“夢”と“志”の違いについて、僕は「夢は誰もが心に描く快い願望だが、志は人々の願望を実現せんとする厳しい決意だ」と彼に説いて聞かせたそうだ。以来、孫君はその言葉を片時も忘れずに生きてきたとのことだった。
在日韓国人として子供時代に屈辱を経験した孫君は、某名門高校に入学しながら、自ら望んで1年で退学、渡米し、努力を重ねて米国の一流大学を卒業した。が、なぜか“自由の国”にとどまらず、心に期する思いを秘め帰国するや、輝かしい学歴に物を言わせた就職をあえて避け、一ベンチャー企業を興した。友人の勧めで初めて僕を訪ねた頃、彼の会社の社員はまだたった二人だった。
自分のやりたいことを志す若者が激減した
先日報じられた「日米中韓の高校生の意識調査」によると、「自分は価値ある人間か」との問いに、イエスと答えた日本人は7・5%。一方米・中・韓はそれぞれ57%、42%、20%だった。この7・5%はきっと一流大学志望者に違いないと思った時、僕の脳裏に突然、30年前の孫君のひた向きな表情が浮かんだ。
とりあえず大学を目指す日本の高校生は、俗に言う一流大学へ入学できる可能性が薄いだけで自分を価値のない人間と見限る一方、入学できそうなごく少数の優等生の多くは、孫君のように自力で人生を拓こうとせず、もっぱら既成の権力機構の中での栄進を狙う。長い人生の中で、本当に自分のやりたいことを志す若者が激減した理由だ。もちろんそれ以前に、そんな現状を懸念する親や教師も少なくなったのだろう。
この点、僕たちの世代は幸いだった。中学に進まずに家業を継いだり仕事に就いたりした小学校時代の友達が大勢いたし、中学卒業後さらに進学したごく少数の同級生の志望先も、各地に点在した個性的な旧制高校や実学志向の高商・高専、陸士や海兵、美大や音大と、今の若者に比べれば自らの“志”に沿った教育を受け世に出ることができた。親や教師が、進学やその後の人生のためのこよなき相談相手だった。
かといって、歴史は戻らない。だから僕はこの四十余年、新進気鋭の人々に自分の都心オフィスを開放し、彼らと歓談論議を尽くし、人生で本当にやりたいことを聞き、それを成就させるための助言と可能な限りの支援を続けてきた。冒頭の孫君の一言は、そんなささやかな努力への温かい過分の謝辞だと、僕は素直に受け取り心から喜んでいる。
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