1980年代、当時男性誌として異例の実売部数40万部以上を誇っていた『ポパイ』。その編集長を76年の創刊から3年間務めました。米ウォールストリート・ジャーナル紙の1面で、日本で大ブームを巻き起こしている雑誌として、取り上げられたこともありました。
出足は決してよくなかったのです。ところが、4号目が出たあたりのある日、大学ヨット部の学生が編集部にやってきた。「『ポパイ』を艇名にさせてください」と。小さなことかも知れないけど、僕たちにはそれがすごくうれしくて、「これは成功したかも」と直感しました。
ある年、ウォーキングスキーやジョギングの取材で、シアトルやカナダを訪れました。そこで当時日本に紹介されていなかったダウンジャケットやダウンベストを発見し、いち早く取り上げたのです。しばらくして、お正月にラグビー早明戦を国立競技場に見に行ったら、観客席がダウンジャケットで埋まっていた。「あれは僕たちが紹介したんだ」と、魔法瓶からホットワインを注ぎながら、得意になったものです。
“国境なき編集部”がベスト
『ポパイ』成功の理由は、まず「時代」でした。世の中が燃えていて、全体的に“煙った感”がある時代の雰囲気をキャッチしたのです。そしてもう一つが「人」ですね。そんな時代に、波長の合う人間を集めることができた。「センスと勘」の重要性はものづくりすべてにいえることかもしれませんね。勘のいい人は、時代の風をパッとつかみます。
僕は常々思うのですが、出版社はあまりきちんとした組織になってはいけない。町工場のように、一人ひとりの意思がすぐつながるような、小さなグループがいいのです。人間は組織化されてずっと同じところにいると、飽きたり疲れたり、消耗して沈滞してしまう。それを乗り越えるには、外に出ていって、面白い人たちと刺激的なコラボレーションをすることです。だから、いろいろな才能を持った人たちが、編集長の元に離合集散して雑誌を作る、“国境なき編集部”がベストです。
雑誌作りはジャズでいうジャミング、即興演奏のようなものです。ジャズサックスプレイヤーの渡辺貞夫は、外国人ミュージシャンと初顔合わせをするや、その場で彼らのピアノやベースに即興で応じてしまう。音がしだいにまとまって化学反応が起こり、すごい演奏が始まります。
雑誌でも、このように感じるときの楽しさといったらないですよ。僕らも雑誌作りで味わったそんな体験、忘れられないですね。
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