当時から雑誌『ポパイ』は、ヌードと劇画を載せない、コラム中心の雑誌です。薄くても面白い、アクセントのある雑誌にしたくて創刊しました。
『ポパイ』の前に女性誌『アンアン』の編集長をやっていたとき、「ショッピングガイド」という2ページのコーナーを作りました。路地裏にある小さな店の、面白いモノを紹介するページです。最新号が出るたびに「どこで買えるんですか?」「お店の電話番号を教えて」と、編集部の電話が鳴りっぱなし。その反響のすごさには、正直驚きました。みんな、面白いモノが欲しいとか、どこで手に入るのか知りたいとかいう衝動が強いんだなと。今ではどこの雑誌でも見掛けるようなページですが、当時は斬新な企画でした。
その後、『メイドインU.S.A.カタログ』という、アメリカの魅力的なモノを集めて若者に新しいライフスタイルを提案する、カタログ形式のムックを作りました。当時は今ほど、アメリカの最新トレンドや商品が日本に入ってきていなかったし、情報も限られていたのです。このムックはビックリするぐらい売れました。これが、『ポパイ』の一種のベースになったのです。
もっと発作的に作らなくちゃ
雑誌にとって大事な、誌名にもこだわりました。漫画の『ポパイ』はずっと見ていましたが、ある日、英文名の『POPEYE』をPOPとEYEに分けると、違った意味を持たせられることに気づいたのです。『シティボーイズ』という仮タイトルが決まっていたのですが、「雑誌が認知されれば、軽薄な誌名と思われかねない」と反対したんです。『ポパイ』だって軽薄じゃないか、って反対論もありましたけど。
実は、漫画『ポパイ』の著作権を管理するキング・フィーチャーズ・シンジケートに相談した際、「50年続いているキャラクターを誌名にするなんて、とんでもない」と断られました。それから何度も頼み込んで、やっと口説き落としたのです。それもあって、『ポパイ』というタイトル以外は考えられなかった。
結局、雑誌は堅苦しく企画を考え、会議して作っていたら、いいものはできません。もっと発作的に作らなくちゃ。自分たちの身辺をベースにした雑誌を作っていかないと、全部ウソになってしまうと思いますよね。とはいえ、当時は「編集者はカネのことは考えるな。いくら費用がかかったとか、何部売れたとかは、ほかの部署に任せておけ」という時代。それと比べたら、今の編集者は大変なのかもしれません。
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