和をもって貴しとなす--。わが先人たちが謹んで伝えてきた教えだ。だが僕は、尊敬する父の影響で、幼い頃からこの教えにずっと反発を感じてきた。父は愚痴と陰口が大嫌いな人で、僕は「人前では自分の思っていることをはっきり言え!」と厳しくしつけられた。そして長ずるに及び、その場その場の“和”を重んずる日本社会で、決まって「生意気な奴」「協調性に欠ける男」などの評価が付いて回った。
そのため、既成権力の恩恵にあずかることこそ皆無だった代わりに、自分の天性を伸び伸びと生かすことができたと思う。この天性こそ、日本人として初めて気体力学をドイツで学び、後に航空機開発に生かした父から、僕が譲り受けたものだ。
敗戦で航空技術者への道を断たれ、結果として“経営”学者に身をやつしたとはいえ、空疎な観念的思索を嫌った僕は、まず、革新的事業実績を挙げた人物から直接学ぼうと決めた。幸い多くの経営者の知遇を得て、存分に経験を伺ったものだ。
強力な構想力を発揮する人物が必要
振り返るに、こうした諸先輩の共通点は、出自でも学歴でも専門知識でもなく、実に、天賦の“構想力”にあったと思う。それを確認しえたことが最大の収穫だったが、加えるに、僕はこれら諸先輩からの刺激、教え、時には協力を受けて、さまざまな実践にも乗り出した。
たとえば、日本の大学は不当に教育と実学を軽視しすぎると考え、“実学教育の重視”を掲げて多摩大学を、大学になじまない研究調査需要の増大を見越してシンクタンク、日本総合研究所を、またベンチャー起業のための社会的基盤の貧しさを憂いニュービジネス協議会を設立する、といった具合に、発想を実現する際にはつねに陣頭指揮してきた。
ある新奇な発想を計画の段階まで落とし込んでいく“牽引力”、それを含め、僕は構想力と呼ぶ。日本の学校教育は圧倒的に、いったん計画が出来上がった後で必要になる知識の習得に主眼を置いてきた。そのうえ、卒業後に若者を待ち受けるのは、万事が上下関係重視の村社会。これでは、職場の会議で新人がどんなすばらしい提案をしても、“生意気”との烙印を押されるだけだ。
日本で優れた発想を現実化させるためには、強力な構想力を発揮する人物が必要なのである。だが僕は、望ましい現実を生み出す可能性を感じたら、誰の発想であろうと、衆知を集めて徹底論議がなされるような社会風土を、日本にぜひ形成したい。“和”よりは“論”の重視を僕が特に強調するゆえんである。
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