さて、脳の持つ「癖」が、クレーター錯視のように明確な有用性を持つケースは少ないように思える。自然界にも「物は垂直に落ちる」「氷は水平に張る」などの物理的性質から、直角が現れることはあると考えられるが、直角なものの多くは人工物である。
直角を好む特性が、人工物の形状の認識に役立っているとしても、文明以前の世界で何の役に立ったのか、自然界でなぜ脳がこのような特性を持つように進化したのかは、興味深い問題といえる。
さて、陰影による錯視原理を知れば、クレーター錯視を作図することは容易である。しかし、直角を好む錯覚原理を知っても、杉原教授のように「止まり木」を設計することは難しい。ここで、数理科学が生きる。すなわち、2次元の網膜像を奥行きのある立体として解釈するとき、数学的に何が可能かという理解である。
冒頭写真の車庫の図は、人間の認知の癖以上に、立体図形の特性が錯視を招く本質である。反重力滑り台の場合は、この両者が絶妙に組み合わせられているといえよう。杉原錯視の創造性が世界に高く評価されるゆえんである。
「学習しない」脳は繰り返しだまされる
さて錯視の原因は、脳が「学習できない」点にある。どういうことか。四方向反重力滑り台を例にとろう。
これを特定の方向から見れば、前後左右に対称な立体で、4本の長さの等しい滑り台が、盛り上がった中央部から四方に下っているように見える。ところが別方向から見ると、形はまったくいびつで、滑り台の長さに大きな差があり、盛り上がって見えた中央部はへこんで最下点にある。
さて、こうして「正体」を知ったうえで、元の位置に戻って見ると、また当初の錯覚がよみがえる。見破ったはずの正体は、どこかに消えてしまい、いくら努力しても、対称できれいな滑り台にしか見えない。
このことは、錯視が、新皮質ではなく、脳のより古い、「学習しない」部位で生じていることを示唆する。錯視は、「頑健」である。いったん原理がわかっても、繰り返しだまされてしまう。
哺乳類の視覚情報は、眼球の網膜神経節細胞から脳の外側膝状体および1次視覚野(V1)に送られて「スクリーン投影」され、さらに連続的にV2-5の視覚野で処理されて、画像認識される。このプロセスに、理性や論理の介在がないことは、脳の皮質構造からも明らかである。
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