いよいよ、マイルスが『カインド・オブ・ブルー』に取り組みます。
マイルスの頭の中には、いまだジャズが経験したことのない真新しいサウンドが響いています。重要なカギを握るのがピアニストです。楽団で和音を奏でる唯一の楽器だからです。ラヴェル的な音空間を理解する感性とジャズという音楽の中で美しく演奏できる技量を併せ持つピアニストなしには、目指すサウンドは実現しません。
ビル・エヴァンスを切り捨てた今となっては、ウィントン・ケリーに期待を寄せるしかありません。もちろん、ウィントンも世に評価の極めて高いピアニストでありました。
しかし、マイルスは、『カインド・オブ・ブルー』を録音する観点からは、ウィントン・ケリーでは物足りないと感じます。じゃあなぜビル・エヴァンスを切り捨てたんだ? と言いたくなりますよね。組織で人事をやるうえでは決して考えられません。つねに「適材適所」ですから。
しかし、マイルスの世界観では、己が希求する音楽の実現のためには、ただ最良の演奏家が必要だ、ということに尽きるのです。肌の色、知名度、生活態度、事柄の経緯などなどは二の次というわけです。そこで、マイルスは、再びビル・エヴァンスに白羽の矢を当てます。黒人への強いこだわり、楽団内の融和、麻薬への厳しい態度からわずか4カ月前に解雇したばかりなのにです。これが朝令暮改でなくて何だ、とも言えます。が、究極の合理主義ともリーダーシップとも言えます。
007ジェームス・ボンドは2度死にますが、ビル・エヴァンスは2度マイルス楽団に登場するのです。
モード奏法の冒険~奇跡の2日間
『カインド・オブ・ブルー』の録音セッションは、1959年3月2日と4月22日に行われました。わずか2日間で、世紀の名盤ができたというのは驚嘆です。要するに、インスピレーションの賜物、一期一会のパワーです。何度もリハーサルを重ねればよいというものではありません。
まず3月2日のセッションです。
マイルスから連絡を受けたビル・エヴァンス。コロンビアが誇るニューヨークの30丁目スタジオにやって来ます。
ちょっと変です。スタジオにピアニストが2人参集しているのですから。レギュラーのウィントン・ケリーは当然として、4カ月前に解雇されたビル・エヴァンスまでいる。
なぜ? ほかのメンバーはいぶかしく思います。スタジオは非常にぎこちない雰囲気に包まれます。ウィントンの心中はいかばかりだったでしょう。もちろん、マイルスは意に介しません。明確な狙いがあるのですから。
マイルスは、最初に録音する曲として「フレディー・フリーローダー」を指定します。『カインド・オブ・ブルー』の中で最もスウィンギーな曲です。ピアノはウィントンです。レギュラーに敬意を表したともいえます。また、従来のハード・バップ的なサウンドですから、楽団員にとってはお手のもの。難易度の高い曲に取り組む前のウォームアップという意図もあったでしょう。1発でOKです。ウィントンの出番は終了。マイルスの指示でウィントンはスタジオから去ります。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら