しかし、選手会長というのは企業で言えば「部長」に当たります。その上のプロ野球選手会会長が社長みたいなイメージでしょうか。
球団と選手の間に入り、板挟みになることもありますし、選手会ミーティングなどでプライベートの時間を割かなければいけないことも多々あります。
だからといってお給料が上がるわけでもないので(笑)。まあそれは冗談としても、単に名誉なだけではない“おつり”が多い。くれぐれもここだけの話ですよ!(笑)
しかし、それも野球をより深く知るためのチャンスと前向きに受け止めることにして、前年の秋季キャンプやこの年の春キャンプと、しっかり身体を追い込み、もう一度しっかりとレギュラー定着を狙った年でした。
チームは3位という成績で、優勝はできませんでしたが、個人的には前年よりも満足できる成績を残したシーズンとなりました。
大きなけがも故障もなくシーズンを終えられるということは、やはりプロスポーツ選手にとってとても大事なことです。この年の満足度で改めて実感しました。
2004年に大事件が起こった
そして2004年。
私個人としても、そしてプロ野球界としても、今までに経験したことのなかったような世間をも巻き込んだ大事件が巻き起こるあのシーズンに突入します。
前年、ある程度の成績を残してレギュラーに返り咲き、チームとしてもう一度リーグ優勝するんだと臨んだ春のキャンプ初日のことでした。
球団名から「近鉄」を外して命名権(ネーミングライツ)を売買する、というマスコミ報道があったのです。
そのときは「それってなんのこと?」くらいに考えていました。案の定、その日のうちに球団代表から、これは球団の経営上の話であって、チームが特に変わるわけでもないから、選手はいつも通り練習してくれ、という説明があったのですから。
しかし今思えば、このときすでに、大船団の舵は切られた後でした。時系列で考えれば、水面下ではオリックスと近鉄の合併の準備が着々と進んでいたはずだったのです。
このお話の続きは次回のコラムでじっくりお伝えしましょう。
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