34歳「触れ合える」動物園を処す男の快活人生 香川の「しろとり動物園」が教える命の大事さ

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その頃からインターネットも普及し始めていた。たわむれに「しろとり動物園」を検索してみると、「香川県にボロクソな動物園がある」「工事現場みたいな動物園がある」などと書かれていた。

「はたから見たらそういうふうに見えるんだなと気づきました。僕はずっとそこで生活していて、両親や従業員が一生懸命やってるのも知っていましたから、ちょっと残念でしたね」

大学に入学し、動物園とある程度距離が離れた。客観的に見ることで

「さくをもうちょっときれいにしたらどうだろう?」

「この場所を歩きやすくすればいいのに……」

などといろいろ考えるようになった。

ちょっとした見せ方の工夫でお客さんが喜んでくれる方法や、動物たちが気持ちよく生活できるようになる方法があると気づいた。

「大学は最初からさぼってばっかりでした。でも大学の先生と飲みに行ったりはしていました」

ある日、大学の先生に

「大学で理科の先生になる勉強するより面白いことやってるやん。動物園に思うことがありながら大学でフラフラして2~3回留年を繰り返すくらいなら『今、動物園をやる』のがいいんじゃないの? これは、大人の意見として」

と言われた。松村さんはそのとおりだと思い「そうですね、明日辞めてきます」と言った。結局大学には1年しか通わなかった。

「母親に電話して『明日学校辞めて帰るわ。動物園を手伝う』って言いました。母親は『せっかく大学に入ったのに……』って少し残念そうでしたけど、でも自分の人生は自分で決めることだから、って認めてくれました」

一つひとつ、アイデアを実現していく

動物園で働き始めてからは、大学に行きながら考えたアイデアを実現していった。ただしもちろんすべてが手作業なので、いっぺんには変えられない。一つひとつ徐々に改良していった。

松村さんが動物園に戻ってきた頃は、「非接触型展示」「環境展示」が主流になっていた。動物が本来いた環境を再現し、そこに住まわせる展示だ。

たとえば上野動物園がそうだ。

「僕も上野動物園、ズーラシア、多摩動物公園、天王寺動物園……など大きな動物園を見に行きました。ただただ愕然とするしかなかったですね。大きな動物園は『壁1つ作って、堀1つ作って何千万円の世界やん……』って規模が違いました。もちろん、公共事業なんで当たり前なんですけどね。

しろとり動物園は年間の予算が数百万円あるかないかの中で経営していますから差は歴然としています」

そんな大規模な工事はとてもできない。

松村さんは「自分たちの動物園でできることってなんだろう?」と考えた。

次ページ「はじまりの動物園」になればいい
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