マケイン氏が議会で圧倒的人気を誇ったワケ ハグするために議員たちが行列を作っていた
ベトナム戦争時に海軍軍人だったマケイン氏は、ベトナム現地でパラシュート降下した際に水面に落ち、捉えられて捕虜となった。
当時受けた拷問で、腕が一定以上の高さに上がらないという逸話も、アメリカ議会のカフェテリアで他のベテラン記者たちから何度か聞いた。またマケイン氏が自分と肌の色が違う子どもを養子にして育てており、7人の子どもがいる大きな家族を大切にしていることも知った。
そんなマケイン氏がアメリカ議会で所属していたのは「アームド・サービス(軍関連)」や「商業」などの主要な委員会だ。
共和党の保守派の主流からは「異端」と見られていても、彼の発言力は圧倒的だった。特に軍関係の議題では、元軍人で実戦と捕虜経験のあるマケイン氏が発言すると、その場がシーンとして誰もが聞き入った。
オバマ氏は「家具」と揶揄されていた
そんな頃、イリノイ州の上院議員として当選し、アメリカ議会で初めての任期を経験していたのが、バラク・オバマ氏だった。当時シカゴの大学の学生だった筆者は、シカゴの連邦裁判所前や州議会や街角でオバマ氏が多くの記者に囲まれて、取材を受けるのを何度か見てきた。政治界に登場した若きロックスターとして、彼の圧倒的なスピーチ力とカリスマ性は地元だけでなく、民主党党大会でも注目されていた。
だが、数多くの法案を通してきた古参の議員が力を持つアメリカ議会内では、自前の法案を通したことがない当時のオバマ氏は「ファーニチャー(家具)」と呼ばれていた。いてもいなくても同じような存在、という意味だ。
ある日、退役軍人向けのサービスについて議論する「ベテランズ委員会」を取材していると、その委員会のメンバーであるオバマ氏が遅れて入ってきた。
「法案の投票があったので、遅れてすみません」と言いながら入ってきたオバマ氏は、彼用に用意された空席に座り、さっと長い足を組んで、議題の書かれた紙をパラパラと指でめくりはじめた。
その委員会の議員たちの中で、頭髪が白髪混じりでないのは、オバマ氏ただひとりだった。
その日の議題は、戦場で負傷したりPTSDを抱えて後遺症に苦しむ元軍人たちへの医療サービスをいかに向上させ、その財源をどこから回すか、という点だった。
ベテラン議員のひとりが、自らの兄弟の元軍人のPTSDの苦悩を涙ながらに語ったちょうどそのタイミングで、オバマ氏が入室してきたのだった。
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