どのタイミングが「新横浜」かは、人によって変わるハズだ。30代、40代、50代どのタイミングかはわからない。降りられる人が別に偉いというわけでもない。ただ、「居心地の良いところに長くいるほど、そこから抜け出すのは難しい」という出雲の言葉は考えさせられる。
こうして、出雲は、不安を胸いっぱいで、エリート行員という看板の価値を捨て、ミドリムシに生きることに決めた。
ジェット機だって飛ばせる、ミドリムシ
そもそも、そこまでして打ち込みたかったミドリムシとは何か。イモムシの仲間のように聞こえるかもしれないが、出雲たちが、現在培養するミドリムシは、緑色の体に植物と動物両方の59種類もの栄養素を持つ、珍しい微生物だ。大量培養できれば、世界の食料問題を解決でき、さらにミドリムシから油を抽出してバイオ燃料を精製すれば、ジェット機すら飛ばせる可能性がある。
ただ、それはあくまで「大量培養できれば」の話。出雲は、ミドリムシを、食糧問題を解決する、ドラゴンボールの「千豆」に見立て研究を重ねた。だが、実現はあまりに難しく、研究分野では、もはや全くと言っていいほど価値を見出されてはいない代物だった。
銀行退職後、そのミドリムシの大量培養に取り組む。とにかく多大な苦労が伴った。銀行の看板を捨て、リスクは全て自分が背負い日本中の研究者の協力を取り付け、ついに大量培養が世界で初めて実現したのは、2年近く経ったあとだった。
しかし、喜びもつかの間。本当に大変なのはそれからだった。素晴らしい技術なのに、全く売れないのだ。会社を何社、何十社回れど、『アオムシ、ダンゴムシだろ。そんなのいらない』と拒絶される日々。自分が価値を感じても、相手にその価値が伝わらないと意味がない。
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