プロ野球、見えてきたペナントレースの大勢 100回大会の甲子園も盛り上がりを見せる

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入団後すぐの1月、その藤井寺球場での新人合同自主トレーニングから、プロ野球生活はスタートしました。このとき、実はいちばん大変だったのが、先輩方へのあいさつ回りだったのはここだけの話(笑)。

1月上旬は若い選手中心の自主トレなのですが、中旬から下旬にかけてはテレビで観ていた選手が球場での自主トレをスタートさせたり、キャンプに向けての荷物出しをしたりと、緊張する相手が球場に顔を出し始めます。

そのたびにド新人選手は駆けつけてあいさつをするのですが、これがめちゃくちゃ緊張するんですよ! だって、あこがれの選手が目の前にいるんですから!

今はもう笑い話ですが、大先輩の現野球解説者・村上隆行さんと1年目のキャンプで同部屋になることが決まりました。すでに藤井寺球場であいさつしていたにもかかわらず、もう一度あいさつに伺った際「お前誰や?!」と言われたことは忘れられません(笑)。

今、私は少年野球教室の先生もしているのですが、親御さんの中には礼儀作法や精神力強化のために、子どもさんに野球を習わせている方が多くいらっしゃいます。

確かにそれは正しい。あいさつをすること、歳上の方には尊敬の気持ちで接すること。今、スポーツ以外でそれを学べる場所は、かなり少なくなっているのではないでしょうか。

とはいえ、当時の私も村上さんに怒られていますから、あいさつが足りなかったのでしょうね。あいさつはしっかりと印象深く、相手に覚えてもらえるようにするべきですね(笑)。今後、私の生徒にはしっかり伝えようと思います。

圧倒された近鉄バファローズの練習量

閑話休題。

自主トレでは、社会人野球から強度の高いトレーニングを積んで大阪へ乗り込んでいたので、内容に苦はなかったのですが、キャンプに入ってからの練習量はすごかった。

さすがに“いてまえ打線”と名前が付くことはある、と実感した打撃練習の量(スイング・Tee打撃・バッティング)には度肝を抜かれました。しかし、その練習に耐えてレギュラーを取らなければ、この世界で生きてはいけないので、自分の技術向上のためにも死にものぐるいで練習したものです。

さらに言えば、当時の近鉄バファローズは1軍キャンプをサイパンで行なっていました。キャンプ帯同が叶った際には、この練習量を南国の灼熱の太陽の元でこなさなければならなかったため、強靭なメンタルと体力がなければ付いていけない。

しかし、サイパンメンバーを外れれば、1軍からも外れるのと同義です。若手は1軍キャンプ帯同への生き残りを賭けて、藤井寺球場で必死にアピールするしかないのです。

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