皆さんこんにちは。プロ野球解説者の礒部公一です。
さあ、日本ではいよいよ初夏の風物詩、セ・パ交流戦がスタートしています!
選手時代、パ・リーグ出身の私からしてみれば、セ・リーグチームとの対戦は非常に楽しみでした。
何故ならば、ここで活躍すれば、セ・リーグの絶大な人気にあやかれるからです! 当時はこの交流戦こそ、自分の名前を売ることができる最大のチャンスだと思っていました(笑)。
今はもう、パ・リーグはセ・リーグに劣らぬ人気を誇りますから、今の選手はまた、違う気持ちで試合に臨んでいることでしょう。
などという現状に関してはまた後ほどとして。今回も当コラム恒例になった、私の半生の振り返りからお話しさせてください。
社会人野球で決心したこと
高校卒業後、私は社会人野球を進路に選びました。三菱重工広島への採用も決まり、社会人としての一歩を踏み出したのです。
与えられた職場は事務職の総務部勤労課。私の時代の三菱重工広島は、午前中に会社勤務、午後からは野球と、半会社員・半野球選手な生活でした。
知らない人からしてみると、社会人野球の選手は、会社の仕事なんてなにもせず、野球だけしているようなイメージかもしれません。しかし、私の場合はちゃんとデスクに向かっていました。
一方で、本業の野球では、同期でも大学出身者がいたり、30歳を超える先輩方もおられ、高校時代とは違ったレベルの高さに改めて驚きましたが、そんな中で一日でも早くレギュラーを取り、活躍できるように努力しました。グラウンドで最後まで残ってバッティングをしたり、寮に帰ってからも夕食後にスイングをしたり。ここまでの野球人生の中では、とにかく一番練習をしたのがこの時期だったと思います。半分やらされた感はありましたが(笑)、寮ですし、逃げられませんしね(涙)。
しかし、漫然と野球をしていたわけではないのです。
私はこの三菱重工広島に入社するとき、ある決意を心に決めていました。それは、3年やって結果が出なければ野球をきっぱり辞める、ということ。3年目にはレギュラーとして毎試合出場するレベルの選手になっていましたが、その決意は変わりませんでした。そして、節目であるその3年目に突入したとき、大きな出来事が起こったのです。
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