60歳になった夫のリタイヤ後に離婚することを考え、実行している妻が少なくないという。これはいいことだと思う。熟年離婚、大いに結構。一度は結婚したのだから、子どもがいるのだから、といった理由で我慢する必要などない。
だいたい、どんなに気の合う夫婦だって、お互いにすべてをわかり合うことなど不可能だ。それで長い間、共に過ごしていれば、どうも合わない、結婚する相手を間違えたと思うようになるのも、自然のことではないか。
それを死ぬまで我慢する必要など、どこにあろうか。
我慢しながら、残りの人生を生きるのか
人生の折り返し地点に立ち、生活を共にすることに嫌気がさしたなら、とっとと離婚したらいいと思う。夫婦としての生活の中で「この人と合わない」「この人と一緒にいると疲れる」「一緒にいると苦痛だ」と思い続け確認し続けたのだろうから、これほど確かなことはない。
我慢しながら、残りの人生を生きることは、人間として残念至極であろう。人生は納得して終えることが大事。ならば、嫌いになった相手と、1つ屋根の下で暮らし続けることはないだろう。離婚しないまでも、別居でもいい。それが「真の夫婦愛」というものかもしれない。
とりわけ、女性、特に専業主婦の女性にとっては、こんなはずじゃなかった、最初は優しかったのにこんな人だとは思わなかった、ということが多いようだ。家政婦のような毎日。何回も別れることを考えたが、子どものために我慢し続けてきた。しかし、もうこの夫に縛られた生活はしたくない。自由が欲しい、と考えるのは当然である。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら