60歳で嫌気が差したならば「離婚」するべきだ 「熟年離婚」を躊躇する必要はない

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明治時代に作られた浄瑠璃の演目の1つ、『壺阪霊験記』の「お里と沢市」ではないが、「妻は夫を労(いたわ)りつ 夫は妻に慕いつつ」などと言うのは、とうの昔の話。また、「お前百まで、わしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで」という諺(ことわざ)がある。

「夫が百歳まで、妻が九十九歳まで、仲良く暮らしてていきましょう」ということ。この諺、室町時代の世阿弥の『高砂』で、「お前百まで、(掃くまで)、わしゃ九十九まで(九十熊手)ともに白髪が生えるまで」とあるから、それからではないかと思う。

その室町時代の平均年齢は、子どもが生まれてもほとんどは死産ということで、なんと15歳程度。だから、15歳前後で結婚。結婚しても、夫婦生活は、長くて20〜30年ほど。それぐらいの夫婦生活の長さなら、「いつまでもいつまでも、一緒に暮らそうね」ということも言えるだろう。

長くなれば、飽きるのも当たり前

ところが、いまや、結婚生活50年間、60年間は当たり前の時代。まあ、お互いにそれほどの長期間ともなれば、飽きるのも当たり前。我慢の限度を超えるのも当たり前。ムリすることはない。我慢することはない。子育ても、家族の面倒も見終わって、なお、それでも私のように、共に過ごしたいと思うなら過ごしたらいい。

しかし、それを我慢し、自分を抑えこんで、うつむき加減で日々を過ごすのは、やめるべきだ。自由を求め、己の欲するままに、人生後半は、生きようではないか。男も女も、熟年離婚をしようじゃないか。夫婦の重い足枷(あしかせ)を外そうじゃないか。夫婦という赤錆びた絆を断ち切ろうではないか。

「さあ、思い切って大空に飛び立とう」と無責任に付け加えておこう。

江口 克彦 一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、台北駐日経済文化代表処顧問

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えぐち かつひこ / Katsuhiko Eguchi

1940年名古屋市生まれ。愛知県立瑞陵高校、慶應義塾大学法学部政治学科卒。政治学士、経済博士(中央大学)。参議院議員、PHP総合研究所社長、松下電器産業株式会社理事、内閣官房道州制ビジョン懇談会座長など歴任。著書多数。故・松下幸之助氏の直弟子とも側近とも言われている。23年間、ほとんど毎日、毎晩、松下氏と語り合い、直接、指導を受けた松下幸之助思想の伝承者であり、継承者。松下氏の言葉を伝えるだけでなく、その心を伝える講演、著作は定評がある。現在も講演に執筆に精力的に活動。

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