「最初に医者にかかったのは、在職中だったと思うんです。父親はもともと電車の運転手で、55歳で早期退職しました。
50代に入ったときにはもうγ-GTPの値が高くて、『あなたはお酒を飲んでいるかぎり健康になれない』と言われていた。その頃は何年かに一度入院する程度だったのが、だんだん間隔が短くなり、2年に一度になり、毎年になり、最後のほうは何カ月かに一度、という感じでしたね」
肝機能検査では、GTPの値が最大で2500に達したこともあります。「一般的には400くらいで即入院のレベル」といいますから、ただならぬ数値です。最後に入院したときは、医者から「このままなら5年後の生存率は5割程度」と言われたそう。
その1、2年前には、母親も入院をしています。白血病にかかり、一時は生きるか死ぬかもわかりませんでしたが、幸い経過は良好でした。ようやく退院が決まってほっとしたのも束の間、今度は関東で暮らしていた昌史さんの兄が、突然事故で亡くなってしまいました。
それがきっかけで父親の酒が増えたように見えますが、実はそうではないと昌史さんは言います。
「お酒で人生が狂っていく過程は、父が若い頃からずっと続いていて、最後に本当にブレーキが利かなくなった時期が、たまたまそこに重なった。そんなふうに認識しています」
父親が「お酒で人生が狂っていく過程」は、子どもの立場の昌史さんにとって、どんなものだったのでしょうか。
電車の運転手だった父は憧れの存在
ものごころついたときから、父親は毎日必ずお酒を飲んでいました。よくある昭和のドラマのように、酔って暴れまわることはありませんでしたが、食事のときには必ず飲んでいる。その姿が、目に焼き付いています。
「いまでもよく姉と話すんですけれど、小さい頃は憧れの存在でもあったんです。幼稚園とか、小学校の低学年の頃は、電車の運転手ってみんな大好きでしたよね。自分もいつかなれたらな、と思っていました。
でも10代になってくると、どうやら周りに誇れる親ではない、と気づき始める。高校を卒業する頃には、どちらかというと残念な部類の、恥ずかしいという思い。『あの人はお酒さえなければ、もっとまともな人のはずなのに』というのを、すごく思っていましたね」
なぜお酒を飲む父親を、そんなに恥ずかしく感じたのか? そう尋ねると、「飲み方がとにかく汚い」のだと言います。
「1人で飲むのが好きではないタイプで、必ず友達と飲みたがるんです。若い頃はよかったんですけれど、50代になってからは、家に呼んだ友達と毎回けんかになる。感情が高ぶってくるので、お互いに声のトーンがどんどん上がって険悪な言い合いになるし、家族にも声を荒げる。
また、言うことが汚いんですよ。いまは世間でよくハラスメントが問題になりますけれど、そういう意味でいうと一発でアウトなことばかり(苦笑)。母には男尊女卑的な言葉をぶつけますし。あとは、何の根拠もないのに『おまえのそういうところが……』みたいなことを言ったりするから、言われたほうは『なんでそんなこと言われなあかん?』となります」
呼ばれたほうの友達も、懲りずに毎回よく来たなと思いますが、お酒を飲みたい気持ちが勝ったのでしょう。いまはその人も、アルコール依存だということです。
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