ある日、律儀なメールが届きました。
「父親がアルコール依存症だった、とご連絡しましたが、改めて確認しましたところ、精神科での正式な診断には至っていないようです。情報が正確でなかった点、申し訳ございません。もっと過酷な方は、たくさんいらっしゃったのではと感じています。もし(取材に)そぐわないと感じられましたら、キャンセルしていただいてもかまいません」
差出人は、この連載の取材先募集フォームから連絡をもらい、3週間後に関西のある町で取材をお願いしていた男性です。千葉県から来るライターが無駄足を踏まないよう、気を遣ってくれたのでしょう。
こちらは別に「より過酷な人」を取材したいわけではなく、それに医師の診断がなくても、本人が自分の意思で飲酒をやめられなかったのであれば同じこと。お話を聞かせてほしい旨を、改めて返信したのでした。
6月のある日曜の朝、新幹線で西へ向かいました。観光客や外国人旅行客でにぎわう改札を抜け、待ち合わせた珈琲店へ。ドアを開けると、奥のほうの席に座った人の良さそうな男性が振り向き、少しぎこちない笑顔で会釈してくれました。
「おとなたちには、わからない。」シリーズ、今回の話し手は、アルコール問題を抱える父親のもとに育った、武井昌史さん(仮名・36歳)です。
長い時間をかけて狂っていった人生
「父は現状、お酒をやめています。と言い切れたらカッコいいんですが、頭のなかではいつもお酒のことを考えている。周りに家族の目があるからやめざるをえない、という状況です。スリップ(断酒後の再飲酒)も、半年に1回くらいありました」
昌史さんの父親がお酒をやめたのは、いまから約4年前。70歳になる、やや手前のときでした。肝機能の悪化で5度目の入院をした際、アルコール問題に熱心な内科医の先生から「もうお酒を飲める身体ではない」と告げられたのです。
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