「別人」になり伴侶を見つけた46歳男性の結婚 30代半ばでの大病が、自分と人生を変えた

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健太さんの述懐は多くの幸せな晩婚さんに共通するものだと思う。尊重し合えるパートナーと結ばれて、安心と自由に満ちた結婚生活を送っていると、「どうしてもっと早くに出会えなかったのか」という淡い後悔が頭をよぎることがある。

しかし、自分もパートナーもさまざまな人生経験を経て現在に至っている。根本的な人格は変わらなくても、人間関係を円滑にするスキルは向上しているものだ。仕事面や生活面での自信がつき、気持ちが優しく晴れやかになっている場合もある。

若くて未熟なうちに出会ってしまっていたら、ささいなことで仲違いをして、その後も結婚する間柄にはなれなかったかもしれない。お互いがほどよく熟した頃に初めて会ったからこそ、新鮮な感動と思いやりをベースにした共同生活を送れるのかもしれない。

今までに味わったことのない幸せを感じる時間

お見合いから2カ月後に健太さんはプロポーズをし、佳奈さんと結婚することができた。それから2年。2人は穏やかな生活を送っている。

「毎朝6時ごろに一緒に起床して、佳奈さんが朝食を作ってくれます。それぞれの職場に通勤し、夜にまた家で会えるのは20時ごろでしょうか。夕食も一緒に食べます。佳奈さんの仕事の話を聞くのが楽しいです。テレビはあまり観なくなりました。食後の後片付けは私の担当です。彼女は保育園の工作などを家に持って帰ってくることも多いので、その作業をしながらまたいろいろ話してくれます。今までに味わったことにない幸せを感じる時間です」

健太さんの父親はすでに他界しているが、母親はずっと健太さんを心配していたようだ。結婚が決まったときは大いに喜んでくれ、今では佳奈さんと仲良くしている。

「母の日に、器用な佳奈さんが折り紙でカーネーションの花を作り、2人の母親にプレゼントしたんです。母はむっちゃうれしそうでした。あんな表情は息子の私でも見たことがありません」

いま、夫婦の課題は1つだけ。子作りだ。お互いに子どもが欲しいので、「最後のチャンス」だと思って不妊治療を始めている。人工授精に進むことも検討中だという。

婚活を始めるわずか3年前までは、精神的にも肉体的にも不健康だった健太さん。大病と入院をきっかけに自分の生き方を反省し、「会社の外」にも目を向けた。たくさんの人との出会いを通じて、心身ともに健やかになることができた。

今ではすてきなパートナーと一緒に親孝行をして、次世代を望むまでになっている。健太さんが病気回復ボランティアで目の当たりにして感動した「本物の人生ドラマ」を、今は彼が主人公として演じているのだ。

大宮 冬洋 ライター

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おおみや とうよう / Toyo Omiya

1976年埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリングに入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。著書に『30代未婚男』(共著、NHK出版)、『バブルの遺言』(廣済堂出版)、『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵』『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ともに、ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方』 (講談社+α新書)など。

読者の方々との交流イベント「スナック大宮」を東京や愛知で毎月開催。http://omiyatoyo.com/

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