「能力給」が社員のやる気を削ぎかねないワケ 「成果」ではなく「努力」に報いるべきだ

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ここからは、脳のシステムの話をしよう。実は、「能力を褒めると生徒の知能は下がり、努力を褒めると生徒の知能が上がった」と言える実験結果がある。この実験結果は、知能が(正確には知能検査の成績が)、努力の成果であることを示唆しているが、違和感を持つ人が多いのではないか。

「成績は能力を表す」という考えを持っている人は、本当に多い。そして、この実験結果にも、どうやら、「成績は能力を表す」という誤解が関係するらしい。成果と能力を結び付けてしまうのが、人の脳の性質のようだ。「よくできた」は成果を褒めており、「頭がいい」は能力を褒めているが、これが脳にとっては、もともと等価なようである。特に「よくできた。頭がいい」と言われたグループは、それが強くなるらしい。結果、「よくできた」ことも、できなくなるというのだから驚きだ。

この結果からも、成果に対価を与えるより、努力に対価を与えたほうが、人の能力は向上しやすくなると考えられないだろうか。つまり、報酬よりも、給料のほうが、人の能力向上に貢献するかもしれないと言えないだろうか。私がこう考えた理由を理解してもらうために、「能力を褒めると生徒の知能は下がり、努力を褒めると生徒の知能が上がった」と言える実験結果について、詳細を追おう。

褒め方ひとつが成績に影響する

この実験は、スタンフォード大学の心理学部の教授、キャロル・S・ドゥエックによって、思春期初期の子どもたち数百人を対象に行われた。子どもたちは全員、非言語式知能検査のかなり難しい課題を解かされた。そのテストの後に、子どもたちは全員、褒められるという対価を得た。しかし、その褒め方は、2種類あった。褒め方の1つは、「よくできたわ。頭がいいのね」などと、子どもに、「能力に対する対価」と受け取られるように、もう一方は、「よくできたわ。頑張ったのね」などと、「努力に対する対価」と受け取られるように、工夫されていた。

「頭がいいなぁ」と能力を褒めるのと、「頑張ったね」と努力の成果を褒めるのとでは、 同じように褒めているようで、雲泥の差が生まれる(写真:JGalione/iStock)

こうして子どもたちは、「能力を褒められたグループ」と「努力を褒められたグループ」に分かれた(なお、どちらのグループも、成果は褒められていると言える)。グループ分けした時点では、両グループのテストの成績に差はなかった。ところが、褒めるという行為を行った直後から、両グループの間に差が出始めた。「能力を褒められたグループ」の子どもたちは、新しい課題にチャレンジしようとしなくなった。一方で、「努力を褒められたグループ」の子どもたちは、ほとんどが、新しい課題にチャレンジしようとした。

次に、子どもたちは全員、なかなか解けない難問を解かされた。「能力を褒められたグループ」の子どもたちは、自分はちっとも頭がよくないと思うようになった。問題が楽しいとも感じていなかった。ドゥエック教授の解釈を引用すると、「頭がよいから問題が解けたのだとすれば、問題が解けないのは頭が悪いからということになる」かららしい。これに反して、「努力を褒められたグループ」の子どもたちは、難問を出されても嫌にならず、「もっと頑張らなくちゃ」と考え、楽しんで努力した。

難問が出されてからは、グループ間で、成績にも差が見られるようになった。「能力を褒められたグループ」の子どもたちの成績はガクンと落ち、その後再び易しい問題が出されても成績は回復しなかった。つまり、スタート時点よりもさらに成績が落ちてしまった。「努力を褒められたグループ」の子どもたちはどんどん出来がよくなり、その後再び易しい問題が出されたときにはスラスラ解けるようになっていた。

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