──AIは「敵か味方か」という話になりがちです。
AIは危険な存在だけに、米国でも話は二極化している。が、それは遺伝子工学も原子力発電も同じ。新しい技術に対しては、それがもたらす恐怖からいかに身を守るかという話に陥りがちだ。
AIの場合、知能面で人を超える可能性があるという問題もある。ウイルスであれば人の力で拡散を抑えられるだろうが、AIは人間の力が及ばない可能性がある。
一度、AIの研究者に「皆がなぜAIを恐れているのかわからない。必ず人類の利益につながるようなことをするようにプログラムすればいいだけじゃないのか」と聞いたら、笑いながら「AIが、地球には90億人ではなく、50億人しか生存できる資源がないと気がつき、人類のために40億人を消さなければならない、と判断するまではね」と言われた。人類のためという判断をAIに委ねると、そういうことにもなるわけだ。
日本は技術や科学と宗教がうまく融合している
──AIは危険な存在であると伝えたかった?
最大の目的は対話を生むことであって、自分の哲学を売り込むことではない。われわれに与えられているものに対する考え方は、人それぞれだ。宗教から癒やしを得ている人もいれば、その逆の人もいる。テクノロジーも同じだ。
面白いことに、今回の本が日本で西洋とは異なる反響を呼んでいる。背景の1つには、日本がロボティクスを中心にハイテク大国であることがある。もう1つ、神道や仏教などの宗教の哲学は、西洋の宗教ほど科学と対立しないこともあるだろう。
私は「進化論なんてありえない。人はアダムとイブから誕生した」という環境で育ってきたが、「教会に入る前には、脳みそをドアの前に置いてきてください」というような宗教は苦手だ。日本の宗教の場合、合理的かつ知的な考えを持ちながら、精神的な癒やしを求めることができる。私から見ると、日本は、技術や科学と宗教がそれぞれを否定することもなく、うまく融合しているようだ。
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