この築地本願寺誕生の裏には、浄土真宗本願寺派の22代門主・大谷光瑞と伊東忠太の出会いがあった。大谷光瑞は、仏教の国際化を早くから唱え、日本の仏教をその源流までさかのぼることを考え、大谷探検隊を西域、チベット、インドへと派遣し、仏教遺跡の探訪を重ねていた。
ユーラシア大陸の建築調査に出掛けた伊東忠太は、この大谷探検隊と中国で出会い、帰国後に光瑞と親交を深める。光瑞は築地本願寺以前にも、兵庫県・六甲山に建設した別邸・二楽荘、京都の本願寺伝道院の設計を伊東に依頼している。
その大谷光瑞の仏教思想と伊東忠太の建築哲学の融合により、築地本願寺は鉄筋コンクリート造の古代インドの仏教様式で建てられたというわけだ。
建立当初は珍しかった「土足OK」
仏教が日本に伝わったのは中国からという歴史もあり、古来日本の寺院は中国から伝わった建築様式で建てられてきた。しかし、仏教はもともとインド発祥だから建物も古代インド仏教様式でというのが、この建物のデザインコンセプトとなった。
また、当時の寺院は木造で内部が畳敷きというのが一般的だったが、鉄筋コンクリート造で、土足で本堂に上がることができる点も画期的だった。耐震耐火建築としたかったことや、今後日本の仏教も国際化していくことを見据えての方針だったようだ。
伊東忠太の作品にはこのほかにも明治神宮(戦災で焼失)、靖国神社、平安神宮といった寺社が多く、一橋大学キャンパス、大倉集古館、意外なところでは大阪・阪急梅田駅のコンコース(現在は移設)、東京大学の正門などもある。
その特徴としては、東洋と西洋を結び付けた様式、独自の創意に基づいたデザインの動物や霊獣が建物の各所にあしらわれていることなどが挙げられる。
築地本願寺の本堂を見ると、内部は意外にも伝統的な浄土真宗の寺の様式。折り上げ格天井にはシャンデリアのような照明がいくつも下がり、仏教寺院にしては室内は明るい。
室内には4本の太い柱が立ち、その下部には青龍、朱雀、白虎、玄武という中国の神話の四神の金属製レリーフで装飾されている。ステンドグラス、パイプオルガンもあり、キリスト教の教会を思わせる部分もある。
本堂入り口の左右にある、1階へと下りる階段は、この建物内でも特に見もの。階段手すりには、象や牛、獅子、馬などユニークな造形の動物の像が見られ、さながら「伊東忠太動物園」のようだ。
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