築地市場そば、古代インド仏教建築の来歴 「築地本願寺」を360度カメラで探訪!

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本堂正面のモチーフは菩提樹の葉、その中央に蓮の花が描かれている(編集部撮影)

建物の外に出ると、本堂入り口の石段脇両側には、翼の生えた不思議な獅子の像がいて、このほかにもこの手の動物、霊獣は建物のあちこちに潜んでいる。

外壁には岡山産の花崗岩である万成石(まんなりいし)が用いられているが、万成石は桜御影とも呼ばれる花崗岩のブランド品。桜色がかった色が特徴で、銀座の和光、明治神宮外苑の絵画館など大正末から昭和初期の名建築にも多く用いられている。

正面のドームアーチには仏教を象徴する菩提樹の葉と蓮の花がデザインされ、その左右にはストゥーパという仏舎利塔を原型にした塔がある。現在もその内部で、朝の勤行時に鐘を鳴らしているそうだ。また、2014年には本堂・三門門柱・石塀が重要文化財に指定された。

昨年秋には本堂前の広場の改装が行われ、石畳敷きとなった。境内には新たにインフォメーションセンターができて、センター内のカフェのメニューには18品もの料理が出る朝食セットやスイーツ、アルコールもある。

2度の焼失を経て現在の本堂に

そもそもこの築地の地の本願寺には江戸以来の歴史がある。江戸初期に浅草に建設された京都の西本願寺の別院が、1657年の明暦の大火で焼失し、徳川幕府により代替地として与えられたのは八丁堀の海上だった。そこで、本願寺の門徒でもある佃島の漁師たちが中心となって埋め立てを行い、この築地一帯の土地が築かれた。

本願寺から築地市場に至る新大橋通りは、またの名を「もんぜき(門跡)通り」。現在の築地場外市場一帯は、かつて58もの本願寺の関連寺院の並ぶ寺内町だった。

しかし関東大震災では本堂が焼失し、境内の墓地や関連寺院も郊外に移転。1933(昭和8)年にはそれまで日本橋にあった魚河岸が築地に移転し、その後かつての寺内町は場外市場へと変化していった。築地の町のそんな歴史をひもときながら、本願寺、市場周辺を歩いてみるとなかなか興味深い。

築地場内市場の移転は今年10月。今後、界隈はどのように変化していくのか。とりあえず現在は、築地市場、銀座と一体化した観光コースとして連日大にぎわいとなっていて、築地本願寺もそのコースに組み込まれているようだ。

(文中敬称略)

鈴木 伸子 文筆家

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すずき のぶこ / Nobuko Suzuki

1964年生まれ。東京女子大学卒業後、都市出版『東京人』編集室に勤務。1997年より副編集長。2010年退社。現在は都市、建築、鉄道、町歩き、食べ歩きをテーマに執筆・編集活動を行う。著書に『中央線をゆく、大人の町歩き: 鉄道、地形、歴史、食』『地下鉄で「昭和」の街をゆく 大人の東京散歩』(ともに河出書房新社)『シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド』(リトル・モア)などがある。

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