イギリスの超天才が歩んだ数奇で波乱な人生 アラン・チューリングを知っていますか

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1954年没の彼が今でも語り継がれるワケは?(写真:phonlamaiphoto / PIXTA)
モノ情報誌のパイオニア『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス社)と東洋経済オンラインのコラボ企画。ちょいと一杯に役立つアレコレソレ。「蘊蓄の箪笥」をお届けしよう。
蘊蓄の箪笥とはひとつのモノとコトのストーリーを100個の引き出しに斬った知識の宝庫。モノ・マガジンで長年続く人気連載だ。今回のテーマはイギリスの数学者、アラン・チューリング。あっという間に身に付く、これぞ究極の知的な暇つぶし。引き出しを覗いたキミはすっかり教養人だ。
この連載の一覧はこちら

01. 「アラン・チューリング」(1912年6月23日~1954年6月7日)はイギリスの数学者、論理学者である

02. インド高等文官を務めていた父ジュリアスと母エセルの子としてイギリス・ロンドンで誕生する

03. しかしアラン誕生後も父のインドでの任期は続いており、両親はインドとイギリスを往復する生活を送った

04. アランは兄ジョンと共にイギリスにある両親の友人宅に預けられるが、幼い頃から数学に秀でていたという

05. 6歳でセント・マイケルズ学校に入学。1926年、14歳になった彼は古風な公立校・シャーボーン学校に進学した

06. しかし登校初日がゼネラルストライキ予定日と重なったため、彼は学校までの100kmを自転車で行こうと決める

07. 前日から自転車で走り始めた彼は途中で一泊し、無事に初登校した。そのニュースは地元紙にも掲載されたという

08. シャーボーン学校に入学後、彼は数学と科学の分野でその才能を開花させる

09. 初等微分積分を教わる前にさらに難解な問題をこなし、16歳でアルベルト・アインシュタインの文章を理解

理解しただけではなく、範囲外の予測も

10. そこに明記のなかったニュートン力学について指摘し、アインシュタインの疑問を外挿(がいそう)したという。

『モノ・マガジン』7月2日号(6月15日発売)。特集は「歩こうハイキング」などです。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

11. そのころアランは近所に住んでいた1歳年上の少年クリストファー・モルコムに恋愛感情を抱く

12. モルコムは親友でもあり、理系科目が得意だった二人はサイエンス全般について語り合った

13. ところがモルコムは1930年トリニティ・カレッジの入学直前に18歳の若さで牛結核症によって急死してしまう

14. この出来事にショックを受けたアランは無神論者となり脳の働きなどの現象も唯物論的に解釈するようになる

15. しかしその後も彼が数学を続けたのはいずれ天国でモルコムと再会した際、数学の話をするためだったという

16. 一方、歴史などの勉強をおろそかにしていたアランは1931年トリニティ・カレッジの奨学金を断られてしまう

17. 仕方なく第2希望だったケンブリッジ大学キングス・カレッジに進学。本格的に数学の世界へ足を踏み入れた

18. きわめて優秀な成績で卒業したアランは、1935年「中心極限定理」を証明した論文で特別研究員に選ばれる

19. 1936年9月~1938年7月にかけ、米国・プリンストン高等研究所で数学者アロンゾ・チャーチに師事する

20. 自然科学、数学、社会科学、歴史学の4部門を持つこの研究所は世界で最も優れた学術機関の1つである

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