イギリスの超天才が歩んだ数奇で波乱な人生 アラン・チューリングを知っていますか

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41. 歴史家で暗号解読にも従事していたエイザ・ブリッグズは当時のアランについて「天才だった」と述べている

42. しかしブレッチリー・パークでの彼は〈変人〉として通っていた

43. 毎年6月の第1週は花粉症に悩まされるため、ガスマスクをして自転車でオフィスに通った

44. また彼が愛用していた自転車は故障しており、定期的にチェーンが外れてしまう

45. それを修理する代わりにアランはペダルをこいだ回数を数え、危なくなると自転車を降りてチェーンを調整した

46. マグカップが盗まれるのを防ぐため、それをラジエーターパイプに鎖でつないでいた

47. 長距離走が得意だった彼はロンドンで行われる重要会議に出席するため約64kmを走っていったともいれている

48. しかもそのタイムは当時のマラソンの世界記録に匹敵するほどの速さだったというエピソードも持つ

49. がっしりとした体形ながら声は甲高く、話し好きで、機知に富み、少々学者ぶったところもあった

女性とのロマンス、そしてプロポーズ

50. アランは幼い頃から同性愛傾向を自覚していたといわれるがブレッチリー・パークの同僚女性とも交際している

51. ジョーン・クラークというその女性は同じ数学者で暗号解読にも長け、二人は趣味も性格も似ていたという

52. アランはクラークと一緒に働けるよう自分の勤務シフトを調整し、また多くの自由時間を共に過ごした

53. 1941年春、アランはクラークにプロポーズし、フィアンセとして自分の家族にも紹介している

54. クラークには同性愛者であることも告白し、彼女もそれを理解し受け入れていたが1941年夏に二人は破局

55. この別れはアラン自身の判断によるものだったといわれるが、その後も親友として二人の友情は続いた

ブレッチリー・パークにある暗号解読装置「チューリング・ボンブ」のレプリカ(写真:TedColes/Creative Commons)

56. 1942年アランは暗号に関する情報交換の一環として米国・ワシントンを訪問する

57. 彼は米海軍の暗号解読者たちにドイツ海軍版エニグマとチューリング・ボンブの構造を伝授

58. 英米間の盗聴不可能な音声通信手段として当時ベル研究所で開発中だった秘話装置の評価作業も行った

59. 1943年アランはブレッチリー・パークに戻るが、彼が不在の間に責任者が交代していた

60. 部門の日常業務に興味を持てなくなっていた彼は、以降「暗号解読コンサルタント」のような立場になる

次ページ仕事柄、外で彼の業績を知る者は誰もいない
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