イギリスの超天才が歩んだ数奇で波乱な人生 アラン・チューリングを知っていますか

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61. しかし暗号解読という機密事項を扱う仕事ゆえ、ブレッチリー・パーク外で彼の業績を知る者は誰もなかった

62. 家族も例外ではなく「軍関係の研究をしている」と聞かされた母は身なりに構わない彼に落胆するばかりだった

63. 彼らの仕事は戦時中も戦後も極秘とされ、1974年に内実を記した書籍が出版されるまで公にはならなかった

64. 暗号解読に関与した数学者や科学者たちは功績に見合った評価を得られず、戦後も不遇な日々を送る

65. 1945~47年アランはロンドンのリッチモンドに暮らし、イギリス国立物理学研究所(NPL)に勤務した

66. ここでプログラム内蔵式コンピュータの初期設計の一つ「ACE」に携わるが、その完成を待たずに異動している

67. ケンブリッジに戻ったアランは、1948年マンチェスター大学の数学科助教授として招かれた

68. 初期コンピュータ「Manchester MarkⅠ」のソフトウェア開発に従事すると、数理生物学に興味を広げていく

対峙しているのは人間か、それとも機械か

69. より概念的な仕事にも取り組み、『計算する機械と知性』という論文では人工知能の問題を提起

70. 今日「チューリング・テスト」として知られる〈ある機械が知的かどうかを判断する〉ための実験も提案している

71. 人間の質問者が機械と会話をして人間か機械か判別できない場合にはその機械が〈思考〉しているというもの

72. 論文のなかでアランは、機械に子どもの精神をプログラムし教育によって育むのがよいとも示唆している

あらゆるパズルが好きだったアランは、コンピュータチェスのプログラムを独自で書き始めた(写真:xijian/iStock)

73. このころ彼はまだ世の中に存在していなかった「コンピュータ・チェス」のプログラムを独自で書き始める

74. しかし当時のコンピュータは性能が低く、アランは自分自身でコンピュータをシミュレートして実験を行った

75. その対戦時の棋譜は現在でも残っているが、プログラムが一手打つためには30分を要したという

76. 彼の同僚との対戦ではプログラムが負けているが、別の同僚の妻との対戦ではプログラムが勝利している

77. 数理生物学のなかでも〈形態形成〉の研究を深めた彼は1952年『形態形成の化学的基礎』という論文を発表

78. 彼が生前に発表した唯一の生化学系論文といわれるが、そのなかで形態形成についての仮説を提唱した

79. アランは反応拡散方程式を用いたが、これは今日の形態形成分野では非常にポピュラーな手法となっている

80. 1952年1月アランはマンチェスターの映画館でアーノルド・マレーという19歳の青年と出会う

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