大谷翔平はいかにしてメジャーに飛翔したか 注目すべきファイターズの人材マネジメント

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これまでの球界において、入団への説得と言えば、おカネに頼ることが多かった。「栄養費」という、何とも時代錯誤な名目の裏金がバラまかれ、その発覚によって、多くのフロントやオーナーが解任・辞任した。特に2004年に発覚した、一場靖弘(当時明治大学)に対する、いわゆる「一場事件」が記憶に残る。

その2004年のドラフトは、ファイターズがダルビッシュ有を1位指名したドラフトである(ちなみにこのときも単独指名)。複数の球団が一場靖弘に現金を渡していたころ、ファイターズはダルビッシュを敢然と指名・獲得し、そのダルビッシュの力も十分に活かしながら、強豪球団への道を歩み始めるのである。

そして2012年、ファイターズは、「夢への道しるべ」という資料を用いて、難攻不落と思われていた大谷翔平を、おカネではなく理屈の力で説得、その大谷の大活躍もあり、4年後の2016年、見事日本一に輝くのだ。

大谷翔平は何に説得されたのか

その「夢への道しるべ」の内容に話を戻すと、この資料、つまりは「ファイターズに入ることは、君のためになる」と真摯にメッセージするものだった。ここで思うのは、採用に際して、勤務条件や勤務環境だけでなく、「この会社に入れば、何が学べるか・どう成長できるか」をメッセージしている企業が、どれほどあるかということである。

大谷翔平は、それに説得された。近年の新卒採用の市場は「売り手市場」とも言われ、労働流動性も高まる中、一般企業においても、特に若い入社希望者は、そういうメッセージを強く欲しているのではないか。

そして最後に注目したいのは、「ファイターズが大谷翔平をのびのびと育成したこと」である。

栗山監督にはピッチャーとしてもバッターとしても才能を持つ大谷翔平の可能性を潰すことなく育てていくことが大前提にあった。

大谷翔平入団後、ファイターズは彼の夢を尊重し「二刀流」の育成プランを進めた。そして日本一に輝いた2016年シーズン、大谷はプロ野球(NPB)史上初の「2ケタ勝利・100安打・20本塁打」を達成し、パ・リーグのMVPにも選出されるなど、異次元の活躍をみせることになったのは周知の通りである。この一連の経緯において、ファイターズ監督・栗山英樹の貢献は非常に大きいと思う。

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