メジャー51勝投手が14球団で感じた夢と現実 ドラフトから始まるおカネと契約のリアル
松坂大輔投手やダルビッシュ有投手、田中将大投手のように高卒選手でプロ1年目から即戦力になれる選手はごく一部です。打者でも同じです。投手でいえば、直球だけでなくすでにプロで通用する変化球を持ち合わせていないといけません。そんな高校生は甲子園に出て「怪物」と騒がれたり、高校入学時からスカウトが足繁く視察に通ったりする逸材です。
大半の高校生にとって、ドラフトで指名されるための勝負は高校3年夏の甲子園を目指した地方大会や、甲子園本大会での活躍に懸かってきます。私の場合、高校3年春まで控え投手だったので、まさに最後の夏に滑り込みでドラフト指名の対象に食い込んだようなものでした。飛躍のきっかけをつかむ舞台、それが3年春の京都大会でした。
強豪の北嵯峨戦で、先発のチャンスが私に回ってきたのです。冬場のトレーニングの成果もあり、制球難という課題も解消されていました。4対3。チームを勝利に導く完投勝利を収めることができたのです。
高校からのドラフト指名、決め手は最後の夏
夏に向けた練習試合などでも登板機会が増えました。そして、夏の大会で初めてエースナンバーを背負うことになったのです。北嵯峨戦での投球によって、直球に力があるという評判が立つようになりました。甲子園出場を懸けた夏の京都大会では、プロのスカウトも試合に足を運んでくれるようになっていました。
ずっと控えだった投手が突然、覚醒したかのような現象に、プロのスカウトもチェックする必要があったのでしょう。迎えた夏の京都大会は初戦から3試合連続完封勝利。準決勝では再び北嵯峨に4対3で完投勝利を挙げることができました。目標だった甲子園出場まであと一歩に迫りました。しかし、甘くはありませんでした。京都大会の決勝で残念ながら敗れ、大舞台には届きませんでした。
プロ野球のドラフト会議は本来、戦力均衡を目的に12球団がバランスよく選手を獲得できるための制度として設けられました。一方で、希望球団に入団できないのは選手にとって不利な制度だという不満が、人気球団、選手の両サイドから上がることもあります。
その中で過去のドラフト会議では、逆指名、自由獲得枠、希望入団枠、さらに高校生と大学・社会人を分けて指名するなど、幾多の試みが行われてきた経緯があります。
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