メジャー51勝投手が14球団で感じた夢と現実 ドラフトから始まるおカネと契約のリアル
すでに駆けつけていた地元紙やスポーツ新聞の記者の人たちに感想を聞かれ、その後は校内の敷地へ出て行って、仲間たちに胴上げされました。翌日の新聞には写真付きで掲載されました。高校入学時、兄と約束した入団テストを受けることなく、プロへの扉が開かれたのでした。
契約金6000万円、年俸450万円。それが私のプロ野球人生で初めて手にしたお金です。母が同席した食事の席で、京都に足を運んでくれた横浜のスカウト部長から、今まで目にしたこともない金額が提示されたことを記憶しています。
このときの契約金は、そのまま母親に渡しました。私の銀行口座を通過したかすら、さだかではありません。一部はこれまでの奨学金の返済に充ててもらいました。自分が兄にしてもらったように、弟の学費はここから捻出できると少しホッとしていました。母にありがとう、兄にありがとう、お世話になった人たちにありがとうございます。自分の中ではそういった感謝の気持ちしかありませんでした。
人生初の年俸交渉は「入団前」
めでたい契約の席上で、私は最初の「年俸交渉」を行っています。実は、最初に提示された年俸はもう少し低い金額でした。自分なりに高卒のドラフト3位入団の選手がどれくらいの年俸を手にしているのか、新聞記事などを参考にイメージしていました。新聞に出ている金額は推定であり、もちろん、正確ではありません。ただ、大きく的を外しているとも思えませんでした。そう考えたとき、自分の中で「提示額が少し低い」と思ったのでした。
そして、スカウト部長に「年俸をもうちょっとどうにか、してもらえないですか」と伝えました。スカウト部長からすれば、相手は17歳のガキくらいにしか思っていなかったはずです。そんな高校生がいきなり「年俸をもう少し上げてほしい」と言い出すのですから、驚いたに違いないでしょう。
こちらとしては、ごねるつもりも、駆け引きをするつもりもありませんでした。ただ、自分の中で、もし足元を見られているのなら、それは「あかん(だめ)」と思いました。
球団も家庭事情は調べているはずです。母子家庭で、家にお金がないことくらいすぐにわかります。「だから、これくらいの金額でいいや」と思われたのなら、納得するわけにはいかないのです。
高校を卒業してプロ野球にドラフト3位で指名されて入団する。そのことに対するきちんとした評価を欲しいと思ったのです。スカウト部長とはいえ、その場で提示額を変更することはできません。そんなことを言われるとは、思いもしていなかったでしょう。
球団が足元をみていたかも、わかりません。あくまで、私の気持ちの問題です。「1回、持ち帰らせてほしい」とスカウト部長に保留されました。しかし、次の交渉で上積みした金額を提示してくれました。気持ちよくプロへ来てもらおうという誠意だったのかもしれません。
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