開幕1カ月、西武の独走支える強力打線の存在

プロ野球解説者「礒部公一連載コラム」第一弾

もちろん、子どもですから本当はもっとほかのことをして遊びたい盛りでしたよ! ですが、父は野球に対して本当にスパルタだったので、遊ぶヒマがあったらバットを振らされた。あまりに厳しくて、野球がイヤになりかけた時期もあったくらいです。しかし、やめさせてもらえなかった。厳しい父でした。

そのおかげで、月並みな言い方ですが根性は鍛えられたと思います。当時のポジションは投手や内野手をしていました。とはいえ、ここでいきなり“地元でも注目の天才野球少年!”となったわけではありませんでした。今思えば、中学校まではそれほど目立つ選手ではなかったのです。

ただ、やはりここでジワジワ効いてくるのが父のスパルタな野球教育(笑)。

小学校では部活として卒業までソフトボールを続けていましたし、中学校からは軟式野球を3年間。加えて、先述の“習い事”としての野球も掛け持ち。これを小学4年生から中学3年生まで6年間続けました。この“習い事”が硬式野球だったため、「子どもの頃から硬式に慣れた選手」ということで、高校野球のチームの監督の目に留まったようです。幸運なことに、西条農業高校に推薦入学が決まりました。

野球推薦での高校入学が最初の転換点

この西条農業高校というのは、私が生まれ育った広島県東広島市内の高校です。私が中学3年生のときに春の選抜で初の甲子園出場を決めたばかりでした。甲子園での成績は初戦敗退(苦笑)。

ですが、私はこれを観ていて、「この高校はきっとこれから強くなっていくだろう」と思ったのです。実家が近かったということも、本校に入学を決めた大きな理由のうちのひとつ。

野球推薦で高校に進学できたことはラッキーでした。その後の人生を決める大きなターニングポイントです。

入学した西条農業高校では、最初内野手でしたが、肩の強さが監督の目に留まり、捕手に転向。捕手になったおかげで1年生の夏の甲子園からベンチ入りを果たすことができました。

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