日本人の「ノーベル賞」受賞者が激減する日 池上彰が危ぶむ「役に立つ」思想への傾注
「平成」という時代には、多くの快挙がありました。
平成2(1990)年には、TBS元記者の秋山豊寛さんが、日本人初の宇宙飛行へ、その4年後には、向井千秋さんが、日本人女性として初めて、宇宙へと旅発ちました。
平成7(1995)年には、野茂英雄投手が、メジャーリーグで、NOMO旋風を巻き起こし、オリンピックでも多くの記録が生まれました。平昌五輪では、フィギュアスケート男子の羽生結弦選手が、ソチに続き、2大会連続の金メダルを獲得する快挙を成し遂げたのは、記憶に新しいところです。そして、今年メジャーリーグでは、大谷翔平選手が投打の二刀流として、新たな道を切り開いています。
一方で、「平成」は、多くのノーベル賞受賞者が誕生した時代でもありました。日本人と日本出身者を合わせると19人。平成最初の受賞者は、文学賞の大江健三郎さんでした。平成14(2002)年、島津製作所の制服を着て会見にあらわれたのは、化学賞を受賞した田中耕一さんでした。
国別のノーベル賞受賞者で日本は世界7位
平成20(2008)年には、英語を話せないと告白し、私たちを勇気づけた益川敏英さんは、物理学で受賞されました。去年は、長崎出身のカズオ・イシグロさんが、文学賞を受賞。振り返ってみると、物理、化学などといったいわゆる科学研究分野での受賞が多いことがわかります。
平成だけでなく、これまでの受賞者を国別で見てみても、日本は、世界で7位に位置しています。アジアに限れば、2位のインド5人、3位の中国3人と大差をつけているのです。研究者たちにとっては、決してノーベル賞を受賞することがゴールではありません。それでも、この賞によって研究が世界に知られ、さらにその研究が進んでいき、私たちの暮らしに還元されていくという側面もあります。
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