読者目線では記事全体が流動的になった
佐々木:まさしくスターが必要だとおっしゃいましたが、媒体ってほとんど個人、もしくは少人数の人間の考えていることの延長ですよね。そう考えたときに、日本の場合は他社から人を取ってくるというケースがあまりなくて、人材流動性が低い。それがジャーナリズムやメディアの世界のいろんな停滞感を招いているのではないでしょうか。
米国だと、編集長ですらどんどんほかのメディアに移りますよね。
塩野:読者から見れば、アウトプットされた記事全体は、極めて流動的になったと思いますよ。先ほど申し上げたように、ジャーナリストという土俵にブロガーやビジネスマンがたくさん入ってきて、フラットになりましたから。
読者には、その記事を書いた人が普段はサツ回りをしていようが、企業にコンサルティングをしていようが、アウトプットとしては一緒です。業界の人材流動性の低さは、その業界にいる人たちの内側のロジックでしかない。
佐々木:確かにそうですね。
塩野:媒体ごとに紙でしかできないことや、ウェブでしかできないことは、たくさんあるでしょうが、テキストのクオリティ自体は、別に紙で読んでもウェブで読んでもアプリで読んでも変わりがありません。
プロが媒体に所属するメリット
佐々木:個人として情報発信する障壁が下がっているということでもありますよね。そういう中で、媒体に所属し続けることのメリットって何なのでしょう。安定性があるとか、そこのブランドを使えるとか、もしくは育成機能があるというのはもちろんあると思うのですが、ある程度、出来上がった人にとって、どういうメリットがあるのか。
塩野:出来上がったプロは媒体に所属するメリットは少ないと思います。ただ、やはり訓練はずっと必要でしょうね。
その訓練も、いったい何のための訓練なのか。サツ回りで取材先の自宅に上がり込んで、最後に特ダネを教えてもらう訓練なのか。それとも、簡潔な文章の中に言いたいことを全部盛り込める書き手としての訓練なのか。
書き手としての訓練に関して、よく新聞記者の書いた本は面白くないと言われます。それは、面白みを追求するよりは、字数制限のある世界で過不足なく書く訓練をしてきたからであって、新聞記者から小説家への転向は難しい。だから、訓練と一口に言っても、どういう方向なのかを考えないといけない。
「ニューヨークタイムズ」などのクオリティペーパーと呼ばれる媒体でコラムニストになるのが最終形という世界においては、もしかしたら簡潔な記事を書ける人よりウィットに富んだものを書ける人のほうが、高く評価されるかもしれない。それはユーザである読者が何を付加価値としてとらえるかですね。
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