トヨタ「スープラ」復活までの知られざる裏側 伝統のFR・直6エンジンレイアウトを踏襲

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

1986年に登場した3代目(A70系)はセリカから独立したモデルとなり、日本向けも海外向けと同じくスープラと名乗るようになった。基本コンポーネントはソアラと共用となりスポーツ色はさらに高められた。ツーリングカーレース用のホモロゲモデル「ターボA」も用意。最後期モデルでは上級モデルのパワートレインが、同じ直列6気筒ながらM型(3.0Lターボ)から最新のJZ型(2.5Lターボ)に刷新された。

1993年に登場した4代目(A80系)はトヨタスポーツカーのフラッグシップとして開発。基本性能に徹底してこだわり、ドイツ・ニュルブルクリンクで鍛えられたモデルとしても有名だ。ハイパワーのFRながらもコントロール性の高さは今でも通用するレベルで、現在もトヨタの社内訓練車として活用中である。モータースポーツの世界でも活躍し、全日本GT選手権/スーパーGTでは4度のチャンピオンに輝いている。

しかし、2002年平成12年度自動車排出ガス規制に対応できず生産終了。スープラの歴史はここで一旦幕を閉じる。その後、2006年に「セリカ」、2007年に「MR-S」が生産終了。トヨタのラインナップからスポーツカーが消えた。

絶滅の危機にあったスポーツカー市場を活性化させた

一方で、2012年、トヨタ×スバルの共同開発で「86」が登場。トヨタが1983~1987年に販売していた「カローラ/スプリンター」のスポーツモデル「レビン/トレノ」の車両型式番号「AE86」を車名の由来とした。AE86の精神を受け継いだライトウェイトFR(後輪駆動)スポーツは世界中で大ヒット、絶滅の危機にあった日本のスポーツカー市場を活性化させた。

開発責任者の多田哲哉氏(写真:筆者撮影)

開発責任者の多田哲哉氏は日本での発売を皮切りに各国のローンチのために世界中を飛び回っていたが、ヨーロッパ向けの試乗会をスペインで開催している時、現会長の内山田竹志氏から「ドイツのミュンヘンに行ってこい、ただし誰にも気づかれずに」という秘密の指令を受けたという。

試乗会の真っただ中に開発責任者が忽然と姿を消したため、現地では大騒ぎとなったそうだが、この時の秘密のミッションがBMWとスポーツカー共同開発のプロジェクトへの第一歩だったのである。

次ページラブコールを受け、応えることになった
関連記事
トピックボードAD
自動車最前線の人気記事