平昌五輪の高視聴率で露呈したテレビの苦境 民放各局のテレビマンは決して喜んでいない

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また、収録放送にすることでコンプライアンスやクレーム対策を行うことも可能であり、そのリスク管理も含めて、収録番組への偏重が高まっているのは間違いありません。

生放送のバラエティに挑んだテレ朝の失敗

確かに収録のほうが見どころや笑いは多く、リスクも少ないのは明らかですが、「何が起きるかわからない」ハラハラドキドキや臨場感は限定的。収録放送は、「良く言えば安定感があり、悪く言えば意外性が乏しい番組」になりがちです。

もちろん収録放送、生放送ともに長所と短所があり、どちらが良い悪いというわけではありませんが、視聴者としては両方楽しめる形が理想のはず。しかし、「現在は収録放送ばかりに偏っているため、時折放送される生放送への注目度が高くなる」という状況になっているのです。

民放各局のテレビマンたちも、「長年にわたって収録放送に偏りすぎている」という状況や、「ネットの普及でますますスピードやライブ感が求められている」という課題はわかっています。しかし、前述したように、「プライムタイムを収録放送のバラエティで固めた日本テレビが視聴率争いで独走している」こと、「コンプライアンスやクレームのリスクを避けたい」こと、「生放送のほうが予算的に厳しい」ことなどを理由に、報道・情報番組以外の生放送番組を作りたがらないのです。

昨年春にテレビ朝日が「中居正広のミになる図書館」を生放送にリニューアルして話題を集めましたが、秋には早くも断念。「中居正広の身になる図書館」と番組名と内容を再リニューアルして収録放送に戻しました。また、同時期にスタートした「サタデーステーション」「サンデーステーション」も視聴率が低迷するなど番組存続を危ぶむ声があります。

その他の番組でも、生放送を彷彿させるスリルやハプニングを意図的に演出する企画はありますが、昨今の視聴者は「それくらいお見通し」。たとえば、「超危険」と掲げたロケ企画があったとしても、「何もなかったから、収録したものを放送できる」ことを視聴者はわかっているのです。

そのように視聴者の想定を超えられない以上、収録番組はブームになりにくく、つねに低視聴率による打ち切りと背中合わせ。数多くの音楽番組が終了していくなか、「ミュージックステーション」だけが生き残り続けていることも生放送の価値を証明しています。

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